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「ひろしくん 誕生」 特設ページ
序章 日本の大不況はアメリカのインターネット戦略から

 日本ほど幸せそうな国は、世中、どこを探してもないように見えた。
 その台所がどうもおかしい。2019年暮れには経済成長率がマイナス6・3%に減速した。新型肺炎騒ぎの前の段階でこれだから誰もが先行きを心配している。
 この理由について、消費税率の10%アップ、天候不順などが語られているが、一番大きな要因であるアメリカのインターネット戦略とネット資本について国会でも取り上げない。同盟国アメリカに気を使っているためのようだが、それにも限度というものがあるだろう。
 日本の財政赤字は1000兆円を大きく超え、GNPの倍、国家予算の3倍超に膨れ上がった。こんな大きな借金をどうしたら返せるだろうという天文学的なレベルだ。そこに国際通貨基金(IMF)から「少子高齢化の日本は2030年までに消費税率15%へ、2050年までに20%に引き上げるべし」の勧告(2月10日)。これから先、日本が二度と再び繁栄することはないという無慈悲な宣告が下されたともいえる。
 この本は、日本人がここまで堕ちたわが国の現実の姿を直視して、かけがえのない日本の再生に立ち上がってくださるようにと祈りながら執筆した。
 インターネット戦略の発動から25年以上かけて日本のみか世界中から富を吸い上げたアメリカのネット資本は、日本の国家予算を上回る世界最大の会社に太っている。いまや鎌倉時代の元寇よりも手強いかも知れない。
 しかしながら日本と日本人にはネットの利便性に負けない美意識と品質がある。目には見えないけれども大切なものを大事にする日本人の人間関係が生きる社会基盤もまだ健在だ。そこから助っ人「ひろしくん」のもとに多くの国民が結束して反撃するならば、勝機はまだあると考えたい。

 

第1章 米アマゾンCEO離婚した妻に3兆8500億円の慰謝料
日本人が貢いで、アメリカのネット資本は太る。明白な相関関係の果て

 アメリカのインターネット戦略は二段構えで日本に迫っている。
 第一段階はインターネット利用の民間開放が始まった1993年に始まった。そのとたんに日本の国際競争力は暴落して不景気に陥り、税収も落ち込んで、政府予算は借金しないでは組めないほど苦しくなった。それが二十数年も続いて今日の1000兆円を越える日本の財政赤字に表れている。
 アメリカのネット資本はそれでも満足することなく、こんどは日本の物流に矛先を向けてきた。アマゾンの新しいビジネス、e委託販売は第二段階の攻勢とみることができる。書籍のインターネット販売で日本に橋頭堡を築いたアマゾンは、日本人の暮らしの物流にターゲットを合わせて、本格的な宅配まで行おうとしている。

 便利なことに目のない人々は「いいじゃない」と拍手を送るかもしれない。アマゾンのCEOジェフ・ベゾスにしてもなにも日本だけからお金を巻き上げようとして商売をしているわけではない。競争相手より効率的で便利な商品を、合法的に提供しようとしているに過ぎない。それが国境を越えるネット時代のビジネスというものだ。

 しかし国境をやすやすと越えるインターネットビジネスには、また別の顔がある。
 ジェフ・ベゾスは昨年、世界をアッと驚かせた。二十五年間連れ添った妻、マッケンジー・ベゾスと離婚したのだ。2019年7月29日の離婚調停で明らかになったところによれば、妻にはアマゾンの株式の約4%、350億ドルが譲渡されたという。1ドル110円換算の日本円で約3兆8500億円である。
 それでもジェフ・ベゾスはアマゾンの株の12%、1148億ドルの株を保有しているので世界一の富豪の地位は揺るがない。日本円にして126兆2800億円である。2018年から世界一の金持ちになったベゾスは実に日本国の一般会計予算を上回るお金持ちなのだ。(米経済誌フォーブス)

 別れた妻マッケンジーとの25年間の成功は見事な相関関係ものだ。
 インターネットが解禁された1993年に結婚した二人は、ネットで書籍を売るベンチャーを立ち上げるためにシアトルのガレージでアマゾンを創業した。妻マッケンジーは知性の塊のような女性で、ジェフを助けて会計から顧客とのやり取り、本の郵送まですべてをサポートして見事にアマゾンを軌道に乗せた。いまやビル・ゲイツのマイクロソフトを抜いて2018年から世界一の大会社にのし上がった。
 だからアマゾンは夫婦二人の知恵とアイデアの結集で大きくなったと言ってよい。調停の前にはアマゾンの株式を二人で半々に分けるのではないかとうわさされた。日本円で約3兆8500億円は、離婚の慰謝料どころか感謝料の意味がありそうだ。

 女性だけでいうと、マッケンジーはこの慰謝料によって世界で三番目の大富豪になった。余計なおせっかいと言われそうだが、やっかみや週刊誌的な関心からこんなことを書いているわけではない。世界一の大会社であるアマゾンの動向はこれからの日本と日本人に大きな影響を与えるのではないかとみているからだ。
 アマゾンが25年前に書籍のインターネット販売の会社を立ち上げた背景には、マッケンジーの本好きがあったとされる。好きなだけでなく、自らも小説を書いてアメリカン・ブック・アオード(米国図書賞)を受賞したこともある。
 こんなオシドリ夫婦がここにきて離婚した背景には、ジェフが取り扱い品目を本から、あらゆる物販に広げたいと路線変更に踏み切ったことがありそうに思われてくる。それはもう妻マッケンジーには理解できず、面白くももない分野だ。というわけでジェフとマッケンジーは離婚を決断したとみることができる。

 案の定、昨年1月に離婚を発表し、7月に正式に調停が成立するや、ジェフ・ベゾスは新たに宅配専用のバン型電気自動車10万台の発注を発表した。それも電気自動車のベンチャー企業にアマゾンが投資して、事実上、アマゾンが自らも電気自動車を製造するといっても過言ではないほどの熱の入れようである。
 ジェフ・ベゾスの日本でのe委託販売については日本は相当に警戒しなければならないと思う。

 アマゾンがその富を日本から強奪したというわけではない。アマゾンは同じようなインターネットによる書籍販売を世界中で展開している。それは その通りだけれども、インターネット解禁からの25年のアマゾンの繁栄ぶりは、ものの見事に日本経済の弱体化、莫大な借金の積み上げと対をなす。
 日本国民が一生懸命に貢いだお金を、アマゾンがそっくりいただいたようにみえる。因果関係ではないにしても、これほど明らかな相関関係はない。
 同じこの25年間もの間、日本が政権は代われども、なすすべもなくインターネットの餌食になってきた。
 これは一体全体、どうしたことか。

第2章 元禄から320年の老舗 大沼百貨店(山形市)が消えた
突如解雇されて路頭に迷う従業員200人。地方経済が土台から崩れる

 この原稿を書いている間にも悲しいニュースがあった。
 わたくしの郷里の山形県で県都山形市の七日町で、江戸時代の元禄年間から320年間、商いをしてきた大沼百貨店が破産した。2020年1月末の仕入れ先500社に対する4億円の支払いができなくなり、自己破産を山形地裁に申請したという。
 従業員は1月25日に召集され、その場で翌26日の全員解雇が言い渡された。およそ200人が厳寒の冬に路頭に放り出されたのである。県や市の行政機関が救済に立ち上がっているが、これほど非常な倒産にはお目にかかったことがない。

 大沼百貨店は元禄年間、西暦1700年の創業で、三越などとともに日本では三本指にはいる老舗の百貨店だった。これで山形県は県庁所在地に百貨店がない日本で唯一の県になる。
 経営者はあっけない倒産の理由として昨年の消費税率10%への引き上げ後から売上が一割りも落ち込んで、支払いがショートしてしまったなどと記者会見で語っている。だが、これまでの経緯を振り返ってみると、そのような簡単な話ではないようだ。
 大沼百貨店のこれまでの最高の売上は1993年2月期の179億円。ここにも米国がインターネット戦略を発動された年をピークに、じりじりと経営を悪化させてきた実例がある。2019年2月期の売上は三分の一の74億円にまで下がって、そこに消費税率10%アップに伴う買い控えがきて、ついに資金繰りがつかなくなった。

経済の専門家らはそれぞれの立場から百貨店というビジネスの業態が、時代遅れになってきたとか、ネット社会への対応が遅れたなどと評論している。それはその通りだとして、もっと大きく地球規模で経済の浮沈を観察すれば、ここにも日本の富がアメリカ資本に奪われて、次第に余裕をなくしてきた構図がくっきりとみえる。
問題は大沼百貨店ではなく山形県の県民の窮乏であり、しかもそれは山形県に限らず日本中が抱える問題である。大沼百貨店の倒産の根は深くて、同様な地方の中小零細企業の倒産、破綻のドミノ現象が続くのではないかと懸念される。

 日本国民から富を吸い上げているアメリカのネット資本は、アマゾンだけではない。
ビル・ゲイツのマイクロソフトは依然として世界で二番目の大企業だ。わたくしたちはマイクロソフトのワードやエクセルを使わないではメールの1本も遅れない。
 米誌フォーブスによれば、世界の10企業と大富豪には、アマゾン、マイクロソフトのほかにもソフトウエアのオラクルのラリー・エリクソン(7位)、フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグ(8位)、検索エンジンのグーグルのラリー・ペイジ(10位)と、5人がネット長者として名前を連ねている。
インターネット社会に組み込まれたわたくしたちは。これらのアメリカのネット資本になにもしなくても使用料を払わされるであろう運命にある。
 心配なのは携帯という新しい情報通信費にまで苦労するようになった底辺の日本国民が、これからの支払いにどこまで耐えてゆけるかどうかだ。
そしてその先にはどんな暮らしが待っているのか。

 アメリカのネット資本にとっては日本政府が負債を抱えようと、日本の中小零細企業が資金繰りに往生しようと関係のないことなのだろう。
アマゾンは日本全域で物販を扱うe委託販売の準備を着々と進めている。すでに日本列島で地理的にもっともふさわしいと思われる拠点に在庫管理と宅配の拠点のための倉庫を設けた。アマゾンにしてみれば、便利で利用価値があるとお考えなら使ってくださいとまずは低姿勢で営業を始めている。
 これまでの25年間に日本がアメリカのインターネット戦略に敗れて莫大な借財を抱えているところに、いわば第二波ともいうべきアマゾンの物販攻勢がもう始まっている。日本の富はそこにまだ残っているとにらんでのことだ。
 アマゾンのCEOジェフ・ベゾス氏は離婚調停が終わるや、宅配のためのバン型の電気自動車10万台発注を発表した。二酸化炭素を排出しない環境重視の電気自動車でブランドのイメージアップを狙ってのことだというが、その自動車会社にも投資もして、事実上、自社で電気自動車を製造する熱の入れようである。新たな物販の流通路線に本腰を入れていることの証しだ。
いずれ東京の道路でも、沢山の宅配をもっとも効率良く届けられるようにプログラミングされた自動運転のアマゾンのバン型電気自動車が走り出しても不思議はない。
 日本人はすでにこれまでは要らなかった携帯が必需品になり、そのための費用が増えて生活費を圧迫して買い物もままならなくなっている。 日本経済の財政赤字、国民の窮乏を重ね合わせて、事態を直視して考えなければならないときがきた。

第3章 日本が連戦連勝した元寇での戦いに 今こそ学ぼう
ひるむな。地の利を生かせ。とことん備えよ。攻撃こそ最善の防御なり

 日本が二度にわたって外敵に襲われた戦いとしては、第一波の文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の蒙古襲来が知られている。
 ころは鎌倉時代の中期、鎌倉武士たちはいかにしてこれら外敵と渡り合ったのだろうか。時代が違うし、戦法も異なる。それでもアマゾンが繰り出してきた第二波の流通戦略から思い立って、元寇を調べてみたらこれが面白い。とても示唆に富んでいる。
 アメリカのインターネット戦略に対して20世紀末から21世紀にかけての日本は連戦連敗だが、今からおよそ750年前の蒙古襲来のときはなんと連戦連勝だったのだ!

 当時のモンゴルはモンゴル平原から中国大陸、東アジア全域を支配する世界最大、最強の国だった。それに睨まれた島国の小国日本はひとひねりだろうと思われた。少なくとも総司令官の元朝皇帝、フビライ・ハーンはそう確信してジパングの金銀財宝の山が届けられるのを楽しみにしていた。
 ところが第一波の文永の役から、鎌倉武士は意気軒昂、モンゴル軍と朝鮮半島の高麗軍を圧倒した。モンゴル軍の大型の軍船900隻のほか、ほぼ同数の小型の船舶で襲来した大艦隊を、わずか二週間ほどの交戦で撃退したのである。
 対馬、壱岐の島でも全滅はしたけれどもしぶとく抵抗したし、博多湾に到来して上陸したモンゴル兵に対しては、鎌倉武士が得意とする弓矢で圧倒して、内地深くにほとんど入り込ませなかった。
 源平の合戦からまだ日が浅く、当時の鎌倉武士には武士の美学が生きていたらしい。武将にとって先陣をつとめて戦果を上げることは、なによりの勇気の証しであった。得体のしれない格好をしたモンゴル軍に対して先陣を争って攻撃をしかけた。敵がひるむような動きををみせれば結束して、夜襲や総攻撃を厭わなかった。
 日本の武士の思いがけない戦意の高さに、モンゴル・高麗合同軍は度肝を抜かれたようだ。わずか二週間、もみ合っただけで戦意を失って引き揚げて行ってしまっった。大変な大戦果である。

 当時の戦争は無慈悲なものだった。首級の取り合いである。離島に取り残されたモンゴル兵は包囲されて食糧もなくなり、全滅した部隊もあった。
 逆に日本が負けていたら、、日本列島の武士階級はみな殺しにされ、いまごろわたくしたちは中国語かモンゴル語を話していたかもしれない。その強さは横綱にモンゴル出身の力士しかいなくなった近頃の相撲をみれば想像がつかないではない。

 早馬で戦況を知らされた京都の公家たちも、鎌倉幕府の総大将、北条時宗もホッと安堵した。しかし名誉を傷つけられた元朝の皇帝フビライ・ハーンはこんどはどう出てくるか。このまま黙って引き下がるとは誰も思わなかった。

 七年後の1281年六月、文永の役を上回る大艦隊が攻めてきた。フビライ・ハーンが満を持して準備した弘安の役である。こんどはモンゴル軍と高麗軍合同の東路軍、それと中国南部から調達した江南軍の二艦隊の編成だ。
 東路軍は前回の文永の役とほぼ同じ大型の軍船900隻ほどの規模だが、南方で編成した江南軍は軍船だけで4400隻もあった。弘安の役は実に文永の役の実に五倍もの陣容で日本に迫ってきた。当時の世界最大かつ最強の艦隊である。

 もはや絶対絶命かと思われたこの戦いで、なんと日本の鎌倉武士はまたしても勝利したのである。さすがに戦闘開始から三カ月もかかったけれども、元朝の大艦隊をよく撃破して、領土を奪われることもなく撤退させることに成功した。

 モンゴル側は先に到着した東路軍が、江南軍と合流する約束だった6月15日の前に先駆けを狙って太宰府を攻略しようと先走って、日本側が備えていた防塁などに阻まれて本格的な戦いの前に痛手を負うという戦略上の失敗があった。
 敵失だけではない。兵力にものを言わせて上陸した何万もの江南軍が、こんどもまた鎌倉武士の旺盛な戦意の前に敗北を重ねて、孤立して多数が戦死したり捕虜になった。ほとんどあり得ない日本軍の戦勝が相次いだ。そこにこんどは大しけが海上のモンゴル軍の軍船を襲い、係留中の軍船が接触したりして多数が破損、あるいは沈没してしまった。
 モンゴルの大艦隊の戦意を失わせた悪天候が、今でいう台風であったかは明らかではない。しかし季節は夏、三カ月もの間にはあったとしても不思議ではない。慣れない海で、モンゴルの大艦隊はしけにもまれて互いに衝突しては壊れ、座礁する軍船は数え切れず、その痕跡はいまでも海底に残っているほどだ。
 これが”神風”と人々に膾炙されて、日本人の神話になった。

 しかし近年の研究ではむしろ鎌倉武士の果敢な戦意が評価されているようだ。
 実際、第一波の戦いを教訓に、鎌倉幕府が九州から関西に至る御家人らを総動員して、再度の襲来に備えて九州北部の海岸線に延々と築いた。上陸してきたら、落とし穴に落として倒れたところを攻め、それでも攻め進んできたらそこで弓矢で射殺す石垣を築いたのだ。防波堤は現在も蒙古防塁とよばれて今も 残っている。
 銃もない時代のことで、飛び道具としては弓矢が重宝されて、実際の戦闘でも矢で軍功を上げたことが記録されている。その先には弓矢の得意な武士が松の木に潜んで狙い撃ちだ。河口や海中には簡単には軍船が接岸できないように乱杭を立てた。考えられるありとあらゆる工夫がこらされたのである。

 鎌倉幕府の北条時宗は、戦争が万が一、長期におよぶことも想定して、寺社の年貢米まで供出させて備えを固めていた。さらに鎌倉幕府は援軍6万騎を九州に向けて送りつつあった。
 この援軍がなんと太宰府に到着する前に、モンゴル軍は尻尾を巻いて撤退してしまって、戦うこともできなかったというのだから天晴れ!劇的な勝利というほかはない。

 少し詳しく元寇について書いた。
 当時とは時代が違う。乗り物は戦車ではなく馬である。銃もなく、飛び道具は弓矢だけ。いざとなれば肉弾戦で互いに首級の取り合う血生臭いものだった。
 これにたいしてインターネット時代の今日では人を倒すどころか、「ハイ、便利ですよ、楽しいですよ」「これで競争相手を出し抜きましょう」と楽しく、役に立つ商品の競争である。商習慣からも自由競争の経済原理と法律上からも、ほめられこそすれ非難される筋合いはない。

 それでも連戦連勝した鎌倉武士のひたむきな戦いぶりには胸を打たれる。戦いに備えてのとことんの下準備、備えにも感動した。
アメリカのネット資本との戦いに敗れて、日本が日本でなくなりかけているいまこそ、わたくしは学ぶべきものがあると思った。

 
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