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パリの香りをどうぞ
 菅佳夫のフランス通信 (buck number)
 
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フランス通信(134)「師走」                    Paris,le 16/DEC/2016
134

*12月に ( AU MOIS DE DECEMBRE ) : 年齢を重ねるにつれ、時間の経過が大変早く感じられるようになり、アッと云う間の「師走」です。アパルトマンの窓から眺めますと、目の前の2本のポプラ(le peuplier)は、すっかり葉を落として枝ばかりの丸坊主、今迄は葉に隠れて見えなかったカササギ(la pie)の大きく無様な巣が見え、間もなくサンタクロースが出入りする家々の小さな煙突からは、暖房か炊事か、白い煙が立ち上っています。12月に入るや朝晩の冷え込みが厳しくなって気温は零下、風が無いので、暖房や車の排気がスモッグとなって漂い、街のクリスマスの電飾も、遠くエッフェル塔もボーっと霞んで見える程。気象庁から“冬期公害警報”(l’alerte de la pollution hivernale)が発せられ、市役所は車の走行を減らすべく、警察の協力を得て、ナンバープレートの番号の末尾が、今日は偶数、明日は奇数の車のみ、と相互走行規制(la mesure de la circulation alternée)を行い、一般交通機関のバスやメトロは終日無料の措置が執られました。今回はパリだけではなく、リヨン、グルノーブル、などの都市でも同様の規制が布かれました。そんな日が45日も続いたでしょうか、天気が崩れ、雨も少し降って、公害警報は解除されましたが、全国で2045人が喘息の発作(la crise d’asthme)で治療を受けたそうです。

*「近代美術のイコン」“シュチューキン・コレクション”展(エルミタージュ美術館・プーシキン美術館( Expo. « ICONES DE L’ART MODERNE » - la collection Chtchoukine (Misée de l’ Ermitage – Musée Pouchkine))ロシア繊維業界の大物(le magnat du textile)の裕福な家庭に生まれたセルゲイ・イヴァノヴィッチ・シュチューキン(と読むのでしょうか、、、)(Sergueï Ivanovitch Chtchoukine (1854-1936))は、1898年パリの画廊でピサロの「オペラ通り」とモネの「ベル・イル島の岩」と題した風景画に感銘、強く魅せられて以来、気に入った絵画を次々に集め、モネ、マチス、ゴーギャン、ブラック、ドガ、シスレー、ルノワール、等々、1914年迄に275点を買い集め、パリからモスクワの自宅へ送り、友人・知人達に見せて好評でしたので、大邸宅はさながら“モスクワのフランス近代美術館”の様でした。最愛の妻の死、息子の死に傷心の彼はシナイ半島の砂漠に迄出掛けて神を罵ったりもしましたが、唯一の慰めは、気に入って集めた絵画でした。ところが革命が起きて一変、芸術を嫌うスターリンにコレクションは取り上げられてサン・ペテルスブルグのエルミタージュとプーシキン美術館に供出の形で没収され、展覧も禁止されました。1936年シュチューキンはパリのオートゥイユで亡くなりましたが、彼に敬意を表わす意味からも、こうして久しく人の目に触れることのなかったコレクションの中、ゴッホが自分の耳を切った時に治療に当たった医師を描いた「ドクター・レイの肖像」(Portrait de docteur Rey(1889))やブラックの「ロシュ・ギュヨン城」(Château de la Roche-Guyon(1909))等々の珍しいものを含む130点が、フランスの近代美術の歴史を辿るかの様に、パリのルイ・ヴィトン財団で展示され、公開されています。2017220日迄、Fondation Louis Vuitton (8,Avenue du Mahatma Gandhi, Bois de Boulogne, Paris 16e)メトロLes Sablons下車、火曜日を除く毎日12時―19時(冬休み中は10時‐20時)金曜日23時迄、入場料16ユーロです。*因みに“ルイ・ヴィトン財団”の建物は、ルイ・ヴィトンが長らく取り組んできた芸術、クリエーション等の文化活動の振興・促進を全うする為に建設されたもので、ビルバオのグゲンハイム美術館を手掛けた独創的な建築家のフランク・ゲリー(Frank Gehry)の設計により201410月に完成、忽然とブーロ―ニュの森に現れた大きな“ガラスの蛹”(une chrysalide de verre)と呼ばれる奇抜な建物で、パリのパレ・ロワイヤルの庭に260本の黒白の柱を立てたビュラン(Buren)により最近ガラスに赤と緑の色が施されて話題になりました。この建物もいずれはノートルダム大聖堂や凱旋門の様にパリの名所になるのでしょうか、、、。

*日本旅行 ( VOYAGE AU JAPON ) : 先信に記した11月に2週間程一時帰国をした時のことです。往きの飛行機で近くの座席に3人の若いフランス女性が乗っていました。スチュワーデス(今はキャビン・アテンダントと呼ぶそうです)に頼んでコーヒーをもらい、退屈しのぎにギャレーの近くで立ち話をしました。「何処へ行くの?」−「東京、秋葉原」、「何をしに?」−「遊びに。秋葉原、上野、浅草には沢山面白いことがあるって、友達から聞いたわ、とても楽しみ。」、「ホテルは?」−「ペンションよ、2段ベッドだって云うけど、10日間位ならそれで十分。友達から教わってサイトで予約したわ。それに日本は親切で安全な国と聞いているわ。」、「食事はどうするの?」−「“コンビニ”とかいう店がどこにもあって、24時間営業なんですって。そこへ行けば、いつでも好きにメニューを組み立てられて便利だし、安くて美味しいって聞いたわ。」、「どうして日本の飛行機に乗ったの?」−「だって、パリを発つ時からもう日本の雰囲気。機内アナウンスの日本語も、意味は解らないけれど、耳に快いし、サービスだって笑顔で親切・丁寧だわ。」、、、コーヒーも飲み終わったので「じゃ、せいぜい楽しんでね、Amusez-vous bien ! と、それぞれの座席へ戻りました。さて羽田に着いて、お金を換え(1ユーロ=112円でした)携帯電話を借りようと係りに並びました。他の人達は皆それぞれの自宅へトランクの宅配を頼む為のようでしたが、列の後ろに先程の女性達が並んでいるので、何故なのか聞きましたら「秋葉原のペンション宛てにトランクを送ってもらって、自分たちは手ぶらで電車に乗って行くの。」とポケットからパスモを取り出して見せてくれるではないですか。「前に行った友達が、まだ金額が残っているから使え、と呉れたのよ。」、、、まるで今や浦島太郎のこちらが教わっているような気がしました。ある日私も近くの“コンビニ”で食事を組み立ててみました。手巻きおにぎり2個(明太子、いくら)、サンドイッチ1個(シャキシャキレタス・ハム)、汁替わりに丼型容器のインスタント麺、デザートにシュークリーム、、、、レジで美味しそうに煮えている‘おでん’、そして夕刊、、、、何と942円、千円札でお釣りがくるではないですか、、、。フランスで10ユーロ札1枚ではとてもこんなに食べられない、、、と妙に感心して彼女達を想いました。帰りの飛行機では40才過ぎ位でしょうか、フランス人のご婦人と隣り合わせになり、話をしました。ご主人はルノー・日産の技師で、今回日本へ長期出張だったので一寸一緒に居たのだが、日本の親切・丁寧なこと、正確で安全なこと、食べ物が美味しいこと等ベタ褒め、次回は絶対に子供達(11才、8才と5才の男の子)を連れて行く、と云ってました。2020年の東京オリンピック、、「おもてなし」、、、、、どうなるでしょうか。いつ迄も日本が親切・丁寧で安全な国であって欲しいと思いました。


20161216Sainte Alice 日の出08 38・日の入1654   パリ朝夕1/日中9℃晴天、ニース8/16℃晴天、ストラスブール‐1/2℃曇天    頑張るぞ冬芽の強さ見習いて(安芸寛)

*フランスで一番の長寿は108才の男性ロジェ・オーヴァンさん、100才まで鍛冶屋として働いた由。長寿の秘訣は「食べ過ぎないこと」とか、しかし「一杯のワインは決して欠かしたことが無い」そうです。

今年も暮れ行きます。皆様、どうぞお元気で平穏無事な新年をお迎え下さい。   菅 佳夫

フランス通信(133)                    Paris,le 28/NOV/2016
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*銀杏 ( LE GINKGO ) : 嘗ては珍しい木としてブローニュの森、モンソー公園、パリ国際大学都市などに1本、2本としか無かったイチョウ(le ginkgo :ジャンコと発音するらしい)の木が、最近では公害に強い木として、害虫にやられたマロニエの木に替えて、パリでもモンスリー公園横の並木道や、郊外のあちこちに植えられ、懐かしいような独特の黄葉(le jaunissement des feuilles)が秋を飾っています。しかし枝は剪定(l’élagage)せずに伸びっぱなし、黄葉しなければイチョウとは気が付かないかも知れません。我が家の近くカシャン(Cachan)に残るマリー・ド・メディシス(Marie de Médicis(1573-1642)フランス王アンリ4世妃・ルイ13世の母)がリュクサンブール宮殿へ水を引いた水道橋の近くの並木道は、特に見事な黄葉を見せ、銀杏の実も沢山落ちていますが、銀杏の実が美味しいとは誰も知らず、匂いが臭いせいか、拾う人は見かけません。イチョウばかりではなく、杉や松など深緑色の針葉樹を除いて、どの木も葉が黄色く茶色になって散り、黒々と枝ばかりの冬景色になってきました。

 

*クリスマス・ツリー ( LE SAPIN DE NOEL ) : デパートのクリスマス・ツリーも中央ホールに煌めき、建物も明るく照明され、ショーウインドーは工夫を凝らした玩具の楽園、日曜営業も始まって、賑やかにクリスマス・セールに入っています。名物のシャンゼリゼ大通り2,20kmの並木を飾るイリュミネーションも1121日に点灯、飾りや地方名産を売る山小屋風の店180(les petits chalets)が並ぶクリスマス・ヴィレッジ(le village de Noël)も既に店開き、今やシンボルとなったコンコルド広場の高さ70mの大観覧車(la grande roue)も立ちました。1643年以来続くリヨンの伝統的な「光の祭り」(la Fête des lumières de Lyon)も、昨年はセキュリティの問題から(pour raisons de sécurité)中止となりましたが、今年は元通り復活、128日から10日迄、ベルクール広場を中心にフルヴィエール迄の街々を華やかに飾ります。世界的に知られるクリスマス・ツリーの里、アルザスのストラスブールでは、大聖堂前の広場を中心に、グーテンベルグ広場など各所にクリスマス市(le marché de Noël)が開かれて既に賑わいを見せ、クレベール広場の大きなクリスマス・ツリーがサンルイのクリスタルの玉を飾って、無事で平和なクリスマスの訪れを願っているかのように見えます。

 

*「パリスコープ」誌 消える ( LA DISPARITION DE PARISCOPE ) : パリとパリ郊外の話題から、演劇、映画、展覧会・展示会、音楽会、各種の催事、等々を漏らすことなく毎週1回詳しく正確に情報を提供し案内して19651019日以来、40セント、50セントで親しまれ、市民に欠かせない存在であった小さな週刊誌「パリスコープ」が、51周年の記念日を迎えて間もなく消えてしまいました。私もキオスクへ買いに行き、いつもの棚に並べられていないので、連休前で売れてしまったのか、しかし、、、と一寸不思議に思いながら帰って来たのですが、

友人からの知らせで廃刊を知りました。同類誌で「オフィシャル・デ・スペクタークル」誌が

あるのですが、こうなると、これも何時まで続くのか不安になってきました。

 

*フランス人が好む名前 ( LES PRENOMS PREFERES DES FRANCAIS ) : 最近発行された官報によりますと、今年生まれた赤ちゃんにつけられた名前は、女の子のトップが昨年同様に「ルイーズ(Louise)」それから「ジャド(Jade)」、「エマ(Emma)」、、、と続いています。男の子では「ガブリエル(Gabriel)」、「ジュル(Jules)」、そして「ラファエル(Raphaël)」の順だそうです。両親など名付け親の好みは、音の柔らかな優しい名前で、母音で終わるはっきりしたものも少なくないそうです。参考迄にトップ10を掲げますと、女子は「ルイーズ(Louise)」、「ジャド(Jade)」、「エマ(Emma)」、「クロエ(Chloé)」、「アリス(Alice)」、「イネス(Inès)」、「レア(Lea)」、「マノン(Manon)」、「リナ(Lina)」、「ミラ(Mila)」、男子は「ガブリエル(Gabriel)」、「ジュル(Jules)」、「ラファエル(Raphaël)」、「レオ(Léo)」、「アダム(Adam)」、「ルカ(Lucas)」、「ルイ(Louis)」、「リアム(Liam)」、「エタン(Ethan)」、「ユーゴ(Hugo)」となっています。伝統的な名前の「マリー(Marie)」や「ジャン(Jean)」、「ミシェル(Michel)」なども相変わらず人気があるそうです。

最近の日本でも好みの漢字を合わせて、こう読む、読ませるといった傾向があるようですが、先日男の子の名前で「空」と書いて「スカイ」と読ませるという或る日本人に会い、一寸驚きました。そして その昔“ゴダイゴ”というグループが唄った「ビューティフル・ネーム」の歌詞を思い出しました:「名前 それは燃える命 ひとつの地球に 一人ずつひとつ Every child has a beautiful name, beautiful name, beautiful name  呼び掛けよう名前を beautiful name, beautiful name 」、、、、、、、

 

*「ピカソ・ジャコメティ」展 ( Expo. « PICASSO – GIACOMETTI » ) : キュービズムの大家でスペイン人のピカソ(1881-1973)と、同時代に活躍したスイスの彫刻家ジャコメティ(1901-1966)が、パリのピエール・コル・ギャラリーにて開かれたジャコメティの初めての展覧会に最初に訪れたのがピカソであったことから親しく行き来するようになり、二人はよく政治について、又「真実」を如何に表現すべきかを話し合い、お互い大いに影響し合って活躍したフランスにての友情ある約20年の間の軌跡を、200点余りの作品を展示して辿る展覧会です。年齢的にはジャコメティがピカソの後を追って、その影響を表し、例えばピカソが日々を共にした女性“ドラマール”の肖像を描けば(1937)、その後ジャコメティが夫人をモデルに“気高い女”(1958)を作り上げ、又ピカソが“紅い椅子に座る裸婦”(1929)を描けば、ジャコメティが“喉を掻き切る女”(1933)を作る、、、、といった具合です。パリのピカソ美術館 (Musée Picasso :

Hôtel Salé, 5,rue de Thorigny, Paris 3eメトロChemin Vert 又は Saint Paul下車)201725日迄 月曜日を除く毎日1030から1800迄 入場料12,50€(18才未満無料)

 

*私の東京滞在 ( MON SEJOUR A TOKYO ) : 祝い事が続いたのと、歯の治療の為に3年振りに東京へ行き、2週間程滞在しました。沢山の友人・知人に会うことが出来、懐かしく嬉しい毎日でした。電車が相互乗り入れをして縦横に走り、西武線の駅に東急の車両がやって来たり、面白がりながら、路線図を見ながら、「パスモ」を使って行き来しました。しかし便利はよいのですが、駅の混雑振り、同じ駅名でも乗り換えには右に左に上がったり下りたり、、、、で、少々くたびれました。“コンビニ”、一応何でも揃っていて、しかもいつ行っても開いていて便利でした。魚もこちらには無い秋刀魚、鰤、ほっけ、、、、美味しく食べました。あっという間の2週間、やや強い地震に追いかけられるように、強い向かい風に安全速度を保つ飛行機で帰ってきました。その為11月の小信の発信が遅くなりました。お詫び致します。

*20161128日 Saint Jacques de Marche 日の出0818分・日の入1657分 パリ朝夕3/日中7℃晴天、ニース9/17℃曇天、ストラスブール0/6℃曇天   「懐かしき焼き芋楽し落葉焚き」安芸寛

フランス通信(132)                    Paris,le10/OCT/2016
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* ( L’ AUTOMNE ) : 1010日、日本は「体育の日」でお休み、しかも連休とか。秋晴れの空の下、色々なイヴェントが催されていることと想像します。こちらも先日ヴェルサイユ近くサン・カンタンで行われた幼稚園の“秋の大運動会”は、雲一つない稀な晴天に恵まれ、気温も30℃にまでなったでしょうか、しかし翌日は曇天、風向きも変わって寒い位、10月に入ってからは朝晩は9℃、日中は16℃位、そんな秋の天気が続いています。木々の葉は日に日に黄葉して、マロニエなどはマロンの実をコロコロと落とし、大きな葉も茶色く落葉となって散っています。フランス各地に続いてモンマルトルの丘にあるあの小さなブドウ畑のブドウの取入れも済んで、愈々秋の感じです。店先には何種類ものリンゴ、梨、ブドウや茸、栗や胡桃が豊富に並んでいます。ジュラ、アルプス、ピレネ―など山岳地帯1200m以上に降雪の報、夜ともなれば石造りの建物は冷え冷えとして暖房が入る迄の我慢、下の階に住む97才になる作家のムッシューも寒さ凌ぎにボルドーを飲んで頑張っています。

 

*「虱にご注意!」( CONTRE LES POUX, PROTEGEZ-VOUS ! ) : 毎年のことながら9月に新学期が始まると必ず話題に上がるのが“シラミ”(les poux)です。学校で、ということは、誰かが夏休みの“おみやげ”にもって来たのか、それとも夏休みの間に誰も居ない学校でシェラミ(cher ami)ならぬシラミが沸いて、子供達の帰りを待ち受けるのか、、、、。原因は不明です。退治する薬はあっても毒性も匂いも強くて子供には向きません。卵(les lentes)はどんな形で、髪の毛のどんな所に付いていて、どうやって見つけるのか、見つけたらどうするのか、、、、騒ぎは暫く続きます。新聞やテレビでは“髪の毛の手入れを怠りなく、頻繁な洗髪で清潔に保つように”と呼びかけています。美容院や床屋さんでもうまく手入れや処理をしてくれるようですが、最近薬屋では « Pouxit »というスプレーを勧めており、可成りの効果があると聞いています。

*「敏感・繊細なアンリ・ファンタン・ラトゥール」展

  ( Expo. « Henri FANTIN-LATOUR,

à fleur de peau »):山岳地方グルノーブルに生まれたアンリ・ファンタン・ラトゥール(18261904)は、粗っぽい山育ちのままに、気難しく個人主義でしたが、自分なりに真実を追い詰め、広げ、印象派画家達との交友がありながらも印象派にはならず、しかし巨匠達の影響は受けてその技巧を真似、肖像画や静物画に腕を上げました。何人かの場面に、皆とは異なった衣装で、違った方向を見つめる自分の姿を描いたものは、彼の複雑な内面をよく捉えており、一方では生活の為に綺麗な花の絵を描き続け、それが英国人たちの称賛を浴び、当時最もエレガントな画家と人気を拍すなど、、非常に興味深い、しかし気のおけない作品の数々を展示する稀な回顧展です。2017212日迄、リュクサンブール美術館 (Musée du Luxembourg, 19,Rue de Vaugirard,Paris 6: RER BLuxembourg駅、又はメトロSaint Sulpice駅下車)、毎日10時−19時、入場料12€ − リュクサンブール公園の秋もなかなかに趣があり好いものです。

 

*「光に満ちたハーブ・リッツ」写真展( Expo. « HERB RITTS en pleine lumière ») :スターを撮っては20世紀末で最も偉大な写真家の一人と云えるハーブ・リッツ(19522002)はデヴィット・ボウイ、マイケル・ジャクソン、ミック・ジヤガー、そしてジャック・ニコルソンやニコル・キドマン、等々のスター達を、1980/1990年代にモノクロで撮り続け、スター達の近くに寧ろ友人として存在しました。1978年、まだ駆け出しのカメラマンであった頃、カリフォルニアの荒野へ出掛けた時に車が故障、やっとのことで車を運び入れたガレージで修理を待つ間、そこに居たTシャツ、ジーンズ姿で煙草を咥えた若者を暇つぶしに撮ったクリシェが後日“ヴォーグ”誌に掲載され、チャンスとは愉快なもの、モデルとなったその若者リチャード・ギアーも自分も有名になりました。それからは映画スター、トップ・モデル、ミュージシャン達との知己が広がり、撮り続けたクリシェは莫大なものとなって価値を呼びました。今回展示された写真はどれもスターにより近く、明るい光に満ちた優れた作品ばかりです。1030日迄、MEP (la Maison européenne de la photographie, 5-7,Rue de Fourcy, Paris 4e : メトロSaint Paul又はPont Marie下車) 月曜日を除く毎日11時−20時、入場料8€ です。www.mep-fr.org

 

*ヨット・レース「ヴァンデェ・グローブ」 ( « LE VANDEE GLOBE » ) : 1989年に始まった単独・無寄港の世界一周ヨット・レースで、第2回の1992(ゴールは1993)以降4年ごとに行われ、今年は第8回、116日にフランスのヴァンデェ地方のサーブル・ドロンヌ港を出発、北大西洋を南下、南大西洋からアフリカの最南端“喜望峰”を回り、印度洋からオーストラリアの南を通って、南太平洋から南米の最南端“ホーン岬”を回って南大西洋へ出て北上、北大西洋から出発港のサーブル・ドロンヌへ帰るコースを早さも争い、80日間で一周することをメドに、途中で食糧補給も出来ず、故障の場合も自分で修理、強風と荒波に睡眠もままならず、

1人で大型艇を操る過酷なレースだけに、毎回完走率は半数程度だそうです。今回このレースに参加するのは29名、その一人に海洋冒険家の白石康次郎さん(49)が日本人として、アジア人として初めて出場する予定とのことで、大いに期待し、健闘と完走を祈りたいと思います。

 

*モンマルトルで美味しいおやつ( UN BON GOUTER A MONTMARTRE )モンマルトルの丘の麓、賑やかな一角に美味しいビスケットやクッキーをオーヴンで焼いて、良い香りを漂わせている所があります。お菓子のシェフであるジル・マルシャルさんは昔ながらの伝統的な手法で焼き菓子を作り続けているのですが、金曜日から日曜日、ウイークエンドの1530分から1830分迄、ビスケットだけでなく、アーモンドの香りでバターたっぷりの“フィナンシエ”、これもバターたっぷりのブルターニュのクッキー、香ばしい瓦煎餅、マカロン等々(les biscuits,les financiers,les palets bretons,les tuiles croustillantes,les macarons,,,)お勧めの品からお好みのものをいくつか選んで、コーヒー、紅茶、ココアなどで賞味する“おやつ”を提案、メニューは14€、18€、20€の三種があります。お持ち帰りも勿論出来ます。

Compagnie générale de biscuiterie, 1, Rue Constance, Paris 18, メトロPlace Blanche 下車

 

*モンパルナス・タワーがピンクの装い(LA TOUR MONTPARNASSE S’HABILLE DE ROSE)

56階建て、何処からも見える様な高いビル“モンパルナス・タワー”に大きなピンクのリボンが付けられ、夜間はピンクにライトアップされています。これは“乳癌”(le cancer du sein)に対する予防、検査、治療、研究、等々に対する注意、関心と理解・協力などを呼び掛けるもので、そのシンボルとしてのリボンは関連行事催行の10月一杯タワーに付け続けられます。

*20161010Saint Ghislain 日の出0803・日の入1910 パリ朝夕6℃・日中15℃晴天、ニース14/21℃曇天、ストラスブール3/13℃曇天、   「マロニエのマロンを栗と間違えて」()
フランス通信(131)                   Paris, le /Paris,le 09/SEP/2016
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*夏の終わり( LA FIN DE L’ ETE ) 先信130号にて「今夏はカニキュル(la canicule猛暑)に襲われることもなく、比較的に凌ぎ易い夏で助かります。」とお伝えしましたが、確かに陽光は少しずつ斜めになるのを感じながらも、822日からは30℃を超え、時には40℃に達する“夏”となって9月を迎えました。しかし、さすがに夜気がヒンヤリとして、秋になろうとしているのを感じます。バルコンに四十雀(la mésange)4羽、餌をついばみにやってきました。

 

*新学年 ( LA RENTREE SCOLAIRE )  91日、全国一斉に学校が始まりました。日本では4月に始まる新学年に該当します。夕刻のTV ニュースでは、真新しいカバンを背負って、お父さん、お母さんに付き添われた新入生達、お母さんと別れるのが嫌だとベソをかいている子供など、恒例の登校風景が映りました。毎年のことですが、必要な入学手続きもせずに皆と同じに笑顔で登校して、登録されていないからと断られている親子も映ります。未開の土地から移住してきたばかりなのでしょうか、別に悪げ無く、手続きなるものを知らないのでしょう、年齢に達したから近くの学校へ行けばよいと思ったに違いありません。いえ、これを“差別”(la discrimination)と騒がれたら厄介な事と学校の職員も気を遣います。今年は新学年用に揃える学用品などを購入する為の国の援助として「新学年手当」(ARS : l’allocation de rentrée scolaire)6才から10才の子供1人当り363€、11才―14才は383,03€、15才―18才には396,29€が支給されました。学用品大売り出しのスーパーCでは“例えばBIC4色ボールペンは1,08€、他のスーパーLでは1,38€、スーパーAで買えば1,65€もします!”とあからさまな広告を新聞に載せたり、賑やかです。こうして新学年が始まると、電車やバスも普段のダイヤに戻り、無料新聞も複刊してスタンドに並び、車内や歩道に紙屑が増えて風に舞い、物乞いのムッシューも何時戻って来たのか、いつもの場所に座って“ボンジュール”と云っています。マロニエの大きな葉が茶色を帯びて、早くも風にカサカサと乾いた音を立て始めました。

 

*ヨーロッパ文化遺産の日 ( LES JOURNEES EUROPEENNES DU PATRIMOINE )  文化遺産に指定・登録された、普段は入ることが出来ない全国約1200ヶ所の建物や施設が、今年は917日と18日のウイークエンドに無料で一般公開されます。2012年就任間もないオランド大統領は、最も人気のある大統領府のエリゼ宮(le Palais de l’Elysée)を自ら案内し、その挨拶の中で「この場所を占める者は大統領たりとも賃借人に過ぎない。家主はフランス国民である。」(Celui ou celle qui demain occupera ce lieu, ceux qui l’ont déjà occupé comme président n’en étaient que des locataires, les propriétaires sont les Français.)と述べたのが印象に残っています。その他首相官邸のマティニョン(l’Hôtel Matignon)や国立病院、警視庁特捜部のケ・デ・ゾルフェーヴル(36 quai des Orfèvres)、パリ市交通営団(RATP)の運転指令室や車庫、王家代々の墓所サン・ドニ大聖堂(la basilique de Saint-Denis)等々、人一倍好奇心の強いフランス人はもとより、この機会に沢山の外国人も朝早くから行列を作ります。

 

*セーヌに浮かぶパリの4つ星ホテル ( UN 4 ETOILES PARISIEN FLOTTANT SUR LA SEINE )  その名は“オフ・パリ・セーヌ”、54室にスイート・ルームが4つ、バー・レストラン、80m2のテラス、プールが備わり、メトロの5号線がセーヌの橋を渡る辺り、オーステルリッツ河岸(Quai d’ Austerlitz)に浮かんでいます。宿泊料金は1160€から、朝食19€、バーは17時から、レストランは19時から開いています。ノルマンディ地方ディエップの造船所で造られた鋼鉄製の2艙の船体をルーアンで整備、内装を施して形を整え、ゆっくりとセーヌ河をパリまで上り、係留したもので、パリでは初めてのフローティング・ホテルです。技術的に上手く固定してあるので大丈夫とは思いますが、船酔いなさる方にはどうでしょうか。お試し下さい。

 

OFF PARIS SEINE, 20-22, Port d’Austerlitz, 75013 Paris (01 4406 6265 offparisseine.com)

近くのミッテラン国立図書館の足元にあるスイミング・プール“ジョゼフィーヌ・ベーカー”も、ノルマンディで造った鉄とコンクリートの箱(caisson ケッソン)を船でセーヌを曳航、現在のフランソワ・モーリャック河岸に接岸、浮島の様に設置して2006年にオープンしたものです。

 

*8年前にロンドンで行方不明になった猫がパリ郊外で見つかり飼い主のもとへ ( Il y a 8 ans que les Londoniens avaient perdu la trace de leur chatte et ils l’ont retrouvée et récupérée dans le banlieu parisien....) 2008年の大晦日、ロンドン在住のシーンとマーナ夫妻のもとから愛猫“ムーン・ユニット”(Moon Unit)が行方不明となりました。数ケ月に亘り、八方手を尽くして探しましたが解らず、結局は諦めるしかありませんでした。ところが今年の5月、パリ郊外アルパジョンに家を買ったローランスさんが、庭に1匹の猫が棲みついているのを見つけ、歯も毛も抜けて弱っている様子に、動物愛護保護団体ADADに届け出ました。知らせを受けてADADはこの猫を引き取り、必要な治療を施した上で、飼い主探しを始めました。首輪の名札の番号はフランスで該当するものは無く、ヨーロッパ各地の団体に手を広げて照会したところ、写真を見たロンドンのシーンとマーナ夫妻が、目から鼻にかけての白い毛、その他の特徴から、まさか、でも“ムーン・ユニット”に間違いない、と名乗ってきたのです。この7月末、夫妻が来仏、“ムーン・ユニット”は8年ぶりに飼い主に抱かれてロンドンへ帰って行きました。しかし、どうやってパリまでやって来たのか。パリへも来たことが無かった夫婦の猫が何故パリの郊外に棲みついたのか、、多くの疑問が残りますが、それは“ムーン・ユニット”だけが知っている、というハッピー・エンドのお話です。

写真はミリーラフォレの薬草院チャペルの壁画、ジャン・コクトーの猫

 

*美術館の入場者記録など,,,,,, ( LES MUSEES LES PLUS FREQUENTES,,,,,,,)  物騒なテロ事件などが相次ぎ、「非常事態宣言」(l’ état d’ urgence)が来年の126日迄延長されている中、全国約8000軒の国立、市立、私立などの美術館の入場者数は文化省の調べでは過去1年間に、ルーヴル美術館がトップで830万人、次がヴェルサイユ宮の740万人、オルセー美術館が340万人、ポンピドーセンター300万人、グラン・パレ170万人と続き、地方のルーヴル・ランスは539千人、メッツのポンピドーが33700人、、、、との記録です。因みに日本人観光客は46,2%減、ということは半減したことになります。ついでに調査機関IPSOSによれば、今夏は何処へも行かなかったフランス人が43%もおり、バカンスに出掛けたフランス人の行く先は64%が国内だったそうです。

 

*201699Saint Alain 日の出0719・日の入2015 パリ朝夕14/日中27℃晴天、ニース21/29℃晴天、ストラスブール16/29℃晴天 今夏に学んだフランス語les pénichards 川船ペニッシュに住む人、les juillettistes 7月に休暇を取る人、les aoûtiens 8月に休暇を取る人 冷ややかな大気を肌に秋を知る(寛)

フランス通信(130)                       Paris, le 08/AOUT/2016

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*8月に ( AU MOIS D’ AOUT )

8月」と云えば「真夏」を感じるのですが、“夏至”(621日)には日の出0547・日の入2157であったのが、さすがに“立秋”を迎えて、日の出が0632・日の入2119と、毎日2分、3分と日が短くなり、陽光も少しずつ斜めになるのを感じて、何か淋しいような気がします。それでも世間は「夏休み」の真っ最中、いつもの駅へ行っても無料新聞は休刊でスタンドに置いてなく、売店<Relay>も閉まっていて新聞も買えず、電車は20分に1本、電車に乗るとガランとした車内には、既にどこかで日焼けしてきた肌もあらわに得意げな女性や、コットン・パンツにポロシャツ、腕には見てくれと云わんばかりの入れ墨、気楽なスタイルの若者が目立ち、ショート・パンツにTシャツ、スニーカーを履き、水の瓶を手にした観光客の話す耳慣れない外国語が賑やかに聞こえてきます。いつもと違うそんな雰囲気も好いものですが、このところ物騒な事件も相次ぎ、“非常事態宣言”が更に6ケ月、来年126日迄延長され(la prolongation de l’ état d’ urgence pour six mois) 何となく落ち着かない毎日であることも事実です。しかし今夏は40℃に達するようなカニキュル(la canicule酷暑)に襲われることもなく、比較的に凌ぎ易い夏で助かります。鳥達も気持ちがよいのでしょう、クロツグミ(le merle)が声高く歌っています。

*地方で開催の展覧会 (LES EXPOSITIONS : A VOIR DANS LA REGION) : 夏休み中は各種の展覧会もヴァカンス先きの各地で開催されていますので、その中の幾つかをご紹介しましょう。

 

ルーアン「印象派画家の生活の場面を描いた作品展」(Expo. « Scènes de la vie impressionniste » à Rouen) :三輪木馬に乗るジャン・モネ妻カミーユとの間に生まれた長男)”(クロード・モネ(1872))、“白いショールのリズモデルで恋人”(ルノワール(1872))、“ワイト島のユジェーヌ・マネエドゥアール・マネの弟)”(ベルテ・モリゾ(1875))等々画家達の家庭的、友好的な毎日の情景、或いは親しい人の肖像画を集めて展示しています。ルーアン美術館(Musée des Beaux-Arts de Rouen)926日迄 火曜日休館、毎日10時―18時、入場料11€、詳細は www.musee-rouen-normandie.fr

 

・ロデス(アヴェロン)「スーラ―ジュ美術館のピカソ」展(Expo. « Picasso au musée Soulages » à Rodez ) : 嘗て家畜の競売(les foires aux bestiaux)で賑わったロデスに、この町の生まれで97才の現在も抽象画の大家であり、舞台装置も手掛けるピエール・スーラージュ(Pierre Soulages(1919− ))を記念して2014年に開館した“スーラージュ美術館”で、スーラ―ジュ自身の選択になるピカソの家族の情景や生活を共にした女性達の肖像などの作品約100点と写真30点余りを展示して評判です。パリのピカソ美術館からの貸し出しに加えてピカソの家族からの提供を受け、殆ど一般には未公開の作品が多くみられますが、特にピカソが1954年に描いた「絵を描くクロード、フランソワーズとパロマ(« Claude dessinant,Françoise et Paloma- 17 mai 1954 »)と題した作品は、1946年に一緒になったフランソワーズとの間に、ピカソ66才の1947年に息子のクロードが、1949年には娘パロマが生まれ、このピカソ一家の日常生活の一場面、絵を描く息子とそれを見る娘、そして2人の子供を優しく抱きかかえる様な母親の愛情豊かな絵画が話題です。(Scène de famille touchante, ce tableau représentant deux enfants de Picasso couvés par leur mère n’avait jamais été montré.)925日迄、月曜日14時―19時、毎日10時―19時、入場料11€、www.musee-soulages.rodezagglo.fr 

 

・ルアーヴル「ブーダン・光のアトリエ」展(Expo. « Boudin, l’atelier de la lumière » au Havre) :

オンフルールに生まれたユジェ―ヌ・ブーダン(1824-1898)は、始めはバルビゾン派の影響で、室内や影ばかりを描いて「私は光に飢えている」と云っていたのでしたが、故郷ノルマンディの空と海を見て発奮、海岸、海水浴客、港、船、等々、明るい風景を描くようになり、印象主義の先駆者(la précurseur de l’ im-

pressionnisme)と呼ばれ、印象派を代表するモネもブーダンを師と仰ぎ、コロやクールベも同様にブーダンを敬っていました。“トル―ヴィルの海岸(la plage de Trouville(1899))等多数展示しています。ルアーヴルのアンドレ・マルロー近代美術館(Musée André-Malraux du Havre)926日迄、入場料10ユーロ www.muma-lehavre.fr

 

・カンペール「オルセー美術館の自画像」展 (Expo. « Autoportraits du musée d’ Orsay » à Quimper) :

既にナンシーやクレルモン・フェランにて開催の巡回展、セザンヌ、ヴァン・ゴッホ、クロード・モネ、ゴーギャン、等々、パリのオルセー美術館所蔵の1848年から1914年迄のコレクションから、画家達が描いた自画像ばかりを展示しています。102日迄、カンペール美術館(Musée des Beaux-Arts de Quimper)毎日10時―18時、入場料6€、www.mbaq.fr

 

・オルナン「クールベと印象主義」展 (Expo. « Courbet et l’impressionnisme » à Ornans(Doubs)) : パリから約430q、ブザンソンから25qにある小さな村オルナンに生まれたギュスタヴ・クールベ(1819-1877)は、法律を勉強する為パリへ上京しますが、ルーヴルでダヴィッドの大作“ナポレオンの戴冠式(le Sacre de Napoléon)に圧倒され、自分だって出来ると気負い、故郷に帰るや315px668pの”オルナンの埋葬式“(un enterrement à Ornans(1849))を描いて出展、注目を集めて以来画家として活躍しました。そのオルナンのルー川(la Loue)沿いの生家が改築され、2011年に開館した”クールベ美術館“が75点の作品と沢山の資料を展示しています。1017日迄、Musée Courbet, 25290 Ornans    www.musee-courbet.fr

 

・エクス・アン・プロヴァンス「ターナーと色彩」展 (Expo. « Turner et la couleur »à Aix-en-Provence » :

暗いロンドンのコヴェント・ガーデンで1775年に生まれたウイリアム・ターナーは、多くの旅を通して光と色を求め続け、チェルシーに引き揚げ、最後に“太陽は神である”(le Soleil est Dieu)と云って亡くなった1851年迄の光と色に溢れる作品“ウェールズのドルバダーン城”(1800から“真っ赤な太陽(マインツの思い出)”(1835頃)、“荒海、難破船”(1840頃)、等々、素描、油絵、水彩画、120点を集めて展示しています。918日迄、Hôtel de Caumont centre d’ art にて、www.caumont-centredart.com

 

*メードイン・パリのビール ( LA BIERE « MADE IN PARIS »)

此の度パリとパリ近郊産の材料を使用(但しホップ(le houblon)だけはどうしてもアルザス産)、30才の3人の若者が、若い人達の人気の界隈オーベルカンフ(Oberkampf)で醸造に成功、 « Bapbap »のラベルで売り出しました。33clの小瓶で年間60万本を目指し、既にカフェやビストロで味わうことが出来るとのこと。ブティックは79, Rue Saint-Maur, Paris 11e, 毎日18時―20時、土曜日は15時から開いています。お試し下さい。古代より中世期迄は”セルヴォアーズ(la cervoise)“の名で親しまれ、15世紀に”ビール(la bière)“と名称が統一され、嘗てパリは一番のビール都市でしたが、アルザス地方に押され、”アル中問題“が大いに騒がれた頃から、パリからビール製造業者(le brasseur)が姿を消していたものです。www.bapbap.paris

 

201688Saint Dominique 日の出0634・日の入2117 パリ朝夕16/日中24℃晴天、ニース22/29℃晴天、ストラスブール13/29℃晴天 運賃値上げ(パリ地区):メトロ・バス1,90 €(市内均一)カルネ(10枚まとめ買い)14,50€、*既にお持ちの値上がり前の切符は常に有効です。「眠れずにテラスに出れば星月夜」(寛) 菅

フランス通信(129)                       Paris,le10/JUIL/2016

129

* 7月に ( AU MOIS DE JUILLET )

日本の梅雨はもう明けたでしょうか。こちらに“梅雨”はありませんが、このところ雨模様のはっきりしない天気が続いて、天気予報でも“モッサード(maussade 鬱陶しい)”という言葉がしばしば使われました。南仏では季節並みの夏を迎えたようですが、パリは日中でも気温は20℃前後の日が多く、家の中でも、外出にも一体何を着たらよいのか迷いました。雨で空気が湿った所為でしょうか、景色に見る木々はいつもに無くうっそうと繁り、緑が濃く感じられ、むせる様な青臭さい大気でしたが、午後ともなれば菩提樹(le tilleul)の花のほんのりと柔らかな香りと、紅く青く紫陽花が心を癒して呉れました。そして七夕祭の頃から、突然の様に日差しも強くなって気温も上がり、漸く季節並みの夏が来たように感じられます。夏休み中はデモもストもお休み、平穏と云える雰囲気の中に、観光客の話す外国語が賑やかに聞こえてきます。

 

* バカロレア(大学入学資格試験)(le baccalauréat) : 通称“バック”(le bac)、今年度の試験結果の発表(la publication des résultats)75日に行われ、文科、理工科等全国80万人近い受験者の中79,6%が合格するという好成績、合格者(les bacheliers)には親子で合格したリヨン在住のチュレワさん父子、総合20点満点を超えて21,22点で記録を更新したロワール県の高校生エミリー・ローランさん等々が話題になりました。

 

* 夏休み(les vacances d’ été, les grandes vacances):学校は76日から831日迄全国一斉に夏休みに入りました。しかし“夏休みの宿題”というものは無いそうです。

 

* 夏のソルド(Soldes d’ été) :“夏物一掃大売出し”は82日迄全商品20%から50%割引販売。デパートも店により場所により日曜日もオープンする力の入れようです。

* ビニール袋使用禁止(Adieu, sac plastique) : 朝市やスーパーでの買い物に果物・野菜・魚・肉などの商品を入れてくれる白や青の半透明の袋は、71日から公害防止の為に使用が禁止となりました。魚屋さんなど又新聞紙に包んでくれるのでしょうか。

 

* 旧型車輌の通行制限(les restrictions de circulation pour les vehicules les plus anciens) :

71日より登録証(la carte grise)に記された初走行年月日が19971月以前の乗用車、199710月以前の貨物車、19996月以前のモーターバイクは、公害防止(la chasse à la pollution)の為に、月曜日から金曜日の0800から2000の間、外周道路(le boulevard périphérique)、ブローニュとヴァンセンヌの森を除くパリ市内の走行・乗り入れが禁止されました。但し、救急車、パトカー等の緊急車(les véhicules prioritaires)及び市内観光用に使用のシトロエン2CVはその限りではないそうです。今年の10月迄は注意のみで罰則なし、それ以降は35ユーロ、来年は68ユーロの罰金が科せられます。(我が愛車も古く、恐る恐る登録証を見ましたら、初走行日(la date de 1er mise en circulation)は“19975月”となっており、危ういところでセーフでした。)

 

* ジャパン・エキスポ(Japan Expo) :今年第17回目を迎えた日本のエンターテイメントの祭典、毎回25万人もの入場者を数える“ジャパン・エキスポ”は77日から10日迄、パリ・ノール・ヴィルパント展示会場で開催され、若い人達ばかりか年配の人までマンガやテレビゲームの主人公を真似た手作りの装いで“コスプレ”(le cosplay : les déguisements en héros de mangas et de jeux vidéo) を楽しみ、コンクールに参加、マンガは勿論、書籍や小物、スナック、各種の案内等のスタンドが並び、歌や踊り、古武道や習字の実演、紹介などで賑わっています。

* 日夜開園のパリ市内9公園(l’ ouverture de 9 grands parcs nuit et jour) : 安全、犯罪、衛生、照明、自然保護、、、、多くの問題から賛否両論のうちに検討が進められた結果、パリ市は夏休み中93日迄の毎日昼夜24時間、市内のモンスーリ、ビュット・ショーモン、アンドレ・シトロエン等9ヶ所の公園を開放することを決定しました。それなりに警備パトロールを強化、度々のゴミ集めも予定されているとのこと、酷暑の夜間などは格好の憩いの場所となるでしょう。

* トゥ−ル・ド・フランス(le Tour de France) : 恒例自転車ロード・レース、103回を迎えた今年も世界中から198人の選手が参加して72日モン・サン・ミシェルを出発、ピレネやアルプスの山岳コースを含む全行程3519qを競い、724日パリに至り、シャンゼリゼを8周してゴールします。日本でもTV中継をしているとか、緑の森、城館、遺跡、牛や羊の群れ、ブドウ畑、、、、コース上の思わぬ美しい眺めに、行ってみたい旅の欲求にかられます。

* ヴィレット野外映画祭(Festival de cinéma en plein air de la Villette) : 開催25年目、恒例

の夏の夜の野外映画祭は713日から821日迄、月、火曜を除く毎夜日没時から始まります。例えば723日“スター・トレック”、27日“竹取物語”、87日“バットマン”、19日“乱”、21日最終日は“ロシュフォールの恋人達”等々、入場無料です。Parc de la Villette, Prairie du Triangle, Paris 19e, メトロPorte de Pantin下車。

 

* パリ祭(Le Quatorze Juillet, Fête Nationale) : 日本語では“パリ祭”となっていますが、当

地では普通“ル・カトールズ・ジュイエ”と唯一日付で呼ぶ祭日です。1789年バスチーユの牢獄から政治犯を釈放、当時の王様ルイ16世と王妃マリー・アントワネットを追い出したフランス革命を記念して“革命記念日”とか“独立記念日”とも呼ばれています。前夜は消防署各所で催されるダンスパーティーが評判、14日当日はパリの舞台シャンゼリゼ大通りで軍隊、警察、消防隊、各種士官学校が凱旋門からコンコルド広場へ行進、戦車、軍用車等の特殊車両が続き、戦闘機やヘリコプターも上空を飛び、大統領、各閣僚、賓客の前に大パレードを繰り広げます。夜はシャン・ド・マルスにてフランス国立管弦楽団がコーラスを伴っての音楽会、23時からは3色にライトアップしたエッフェル塔をバックに大花火大会が催されます。好天が期待されます。

 

* 夏季工事による交通事情(les interruptions de trafic cause de gros travaux de l’ été) : 夏休みの間に各所で大工事が施行され、723日から821日迄RER A線のパリ市内ナシオン−ラ・デファンス間は軌道工事で運行休止2階建ての大きな車輌が10輌編成でラッシュ時には超満員で3分間隔、しかも100q/hを遥かに超える速度でゴォゴォと走るのですから、摩滅も激しく、安全上当然なのですが、、、)、RER C線も716日から827日迄同様にオステルリッツからジャベル、アンリ・マルタン間が運行休止、、、、その他駅舎改築等の理由で閉鎖される駅も少なくありません。同様に道路工事も各所で行われ、通行止め、迂回等が起こります。十分にご注意ください。

 

2016710Saint Ulrich 日の出0558・日の入2152 天気:パリ朝夕19/日中30℃晴天、ニース22/29℃晴天、ストラスブール15/33℃晴天。Euroサッカー決勝戦はフランス対ポルトガル、トゥール・ド・フランスはピレネ越えてアンドラへ、、、“紙と筆探す間に句を忘れ”() よい夏休みを!

フランス通信(128)                       Paris, le 06/JUIN/2016

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*悪天候、増水、洪水、、、( LES INTEMPERIES, LES CRUES, L’ INONDATION, ......)

思い起こせば510日頃迄は、もう夏が来たかと思う様な暑い位の晴天続き、それが中旬頃から曇天、雨天の連続、日中の気温も20℃に達することも稀れ、寒さすら感じる毎日となりました。大粒の雹が降って、白ワインで名高いシャブリは殆ど全滅、突然の雷がモンソー公園で誕生日会の子供達を直撃、子供8名と大人3名が重軽傷、、、、6月に入るや雨が多くなり、ヨンヌ(l’Yonne),ロアン(le Loing),ソードル(la Sauldre),シェール(le Cher)といったロワール河やセーヌ河に注ぐ支流が溢れ出して洪水となり、市の中心街(le centre-ville)に急流が走り、家々の地面から50pから1m位の高さ迄水、水、、、酷い所は車の屋根を残して水没、2階の窓から助けを求める人たちの姿も見えました。上から見れば、野や畑は湖と化し、何処が道路で川か、牛や馬などの家畜が右往左往、オルレアン(Orléans)近くの高速道路10号線(A10)は突然の洪水に運河の様になり、300台程の車が走行途中で孤立、被害甚大となりました。特にヌムール(Nemours),モンタルジ (Montargis),モレ・シュル・ロアン(Moret-sur-Loing),ロモランタン(Romorantin)等では市役所が市民に避難命令を下し、消防、警察、軍隊総動員で救出に当たり、安全な高台の体育館等へ収容、各所1000人から2000人が着のみ着のままで寒さに震えていました。何所も水は増すばかり、一軒家に1人住まいの老婦人は気の毒に溺死、普段は穏やかな町も停電で暗く、、、車や家財道具も全てを失った市民は口々に「全てが駄目になってしまった、、、」と涙ながらに訴えながらも、最後は「でも私達には命がある」(Tout est fichu, perdu, mais on a la vie.)と笑顔を戻す姿には同情と共に感動すら覚えました。有名なシャンボール城(Chambord)は水に浮かんで、まるでモン・サン・ミシェル(Mont Saint-Michel)の様に見えます。そうこうするうちに、支流の流れを集め、更にはパリの洪水を防ぐ為にある4つの人造湖も一杯となって、セーヌ河が増水、コルベイユ・エソンヌ(Corbeil-Essonnes)、ヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュ(Villeneuv-Saint-Georges)といった聞き慣れた近郊の町の名前が出るようになり、同様に町中に水の流れ、近郊農業のサラダ菜やトマトの畑は冠水、、、、愈々パリへ近づきました。“1910年のパリ大洪水”の苦い経験から、セーヌ沿いのルーヴルやオルセー美術館は直ちに閉館して地下と1階に保管や展示している全ての美術品を上階又は他所へ移動して避難させました。河岸のバイパス道路、メトロの線路も、セーヌ河の下を抜けるトンネル内のサン・ミシェル・ノートルダム駅などを閉鎖、万全を期しました。セーヌ河の増水は、船が橋の下を潜れない程になり、観光船“バトー・ムーシュ”や貨物を運搬するペニッシュ(la péniche)も運休、係留した船の住民達の安全の為にも、水上警察や消防などの警備隊(la brigade fluvial)は大忙しとなりました。セーヌ河はその後も増水を続けながら下流へと向かい、シャトゥ(Chatou)やポアシィ(Poissy)の住宅街も水の中、人間の苦労も知らぬ白鳥の夫婦がヒナを従えて悠々と遊泳する姿、鴨が水没した車の屋根に上がって羽ばたく様が映りました。「あーあー 川の流れのように、、、、、、」という歌も頭を過ぎりますが、セーヌ河は今日もなお増水、“洪水注意報”はそのままに下流へ下流へと流れ、今やノルマンディ地方が危なくなってきています。一方、少し水が引いた所では、避難していた人々が、未だ膝まで水に浸かりながらも帰宅を始めましたが、中には空き巣(les cambriolages)にやられて二重に悲しむ姿もあって同情を呼びました。この他ロレーヌ地方モーゼル河流域も浸水、洪水、ドイツのババリア地方やオーストリーでも大きな被害が出たと聞き及びます。罹災者(les sinistrés)、遭難者(les naufragés)の為にも、早々の回復を心より祈るものです。

 

*1910年パリ大洪水 ( UNE FORTE CRUE PARISIENNE 1910 )19101月、100年に1(une fois par siècle)と云われる大雨に、100年に1度のセーヌ河の氾濫が起こり、コンコルド広場も水の海、、、電気、ガスは止まり、石炭、木炭も使えず、地下のカーヴは完全に水没して、ワインの瓶も壊れて流れ、交通機関はストップ、都市機能は完全にマヒ、道路には歩行者用に板を渡して簡単な歩道橋を仮設するなど大騒動となりました。100年を過ぎた現在、そろそろ起こるのではないかとの予想から、正に今年の3月には、警視庁が中心となって防災訓練が実施され、市民に警戒を呼び掛けたばかりでした。偶然でしょうが、お馴染みのミニコミ紙“オヴ二―(Ovni)”も201641日発行の805号に「世紀のセーヌ増水がやってくる?」と題して特集記事を組んでいました。

 

*ズアーヴ ( le ZOUAVE ) : 今回のセーヌ河増水で話題となったパリのアルマ橋の橋脚に立っているマントを羽織った男の石像は、“ズアーヴ”と呼ばれるアルジェリアの歩兵で、クリミヤ戦争でフランス軍が勝利を収めたロシアの“アルマ”で大いなる活躍をしたことを記念するものです。しかしこの石像は増水したセーヌ河の水位を測る目印として知られ、普段は水面から上に出た台にたっていますが、水位が上がると足元から水に隠れ、今回は腰の辺りまで水に浸りました。このズアーヴ像の膝まで水が上がると船の航行が禁止されます。ちなみに1910年のパリ大洪水の時にはこの石像の肩まで水に埋まったそうです。

 

*バトー・ムーシュ ( le Bâteau Mouche ) : 云い易いからか“バトー・ムッシュー”等と呼んで親しまれているセーヌ河の遊覧船、船がハエ(la mouche)に似ているから等と云われますが、実は1867年パリ万国博の時に人気を集めた遊覧船が、リヨンのムーシュという場所にある工場で造られたことから名付けられたのだそうです。

 

*ニセ・アカシア ( LE ROBINIER (faux acacia) ) : 今頃はニセ・アカシアのクリーム色の花が若葉に映える頃ですが、今年は天気が優れないために、華やかには咲かず終いでした。フランスへは植物学者のジャン・ロバン(Jean ROBIN)が北米から持ち帰って植えたのが最初なので“ロビニエ(Robinier)”と名付けられ、1602年に植えたその木が400年以上も経った今も、それこそ1910年の大洪水など風雪に耐え、柱で支えられてはいますが、花も咲かせ、パリで一番古い木として見ることが出来ます。ノートルダム大聖堂の橋を渡った角の公園、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会横手、Square René Viviani, Paris 5eです。(添付写真)

*花蘇芳 ( LE GAINIER DE CHINE ) : 先信127号にて皆様に“花蘇芳”のフランス語名をお尋ねしましたところ、沢山のご親切な返信を頂戴致しました。それによりますと“花蘇芳”は le gainier de Chine、学名Cercis chinennsisが正しい様で、l’arbre de judée,Judah tree,“ユダの樹、ユダが首を吊ったとされる木”、西洋蘇芳、とも云う、、、でした。ありがとうございました。

 

201666Saint Norbert日の出0548・日の入2150、パリ朝夕14/日中22℃曇天、ニース12/26℃晴天、ストラスブール12/25℃曇天「短夜に友の面影追いし我」(安芸寛)お元気で、菅

フランス通信(127)                       Paris, le 11/MAI/2016

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*5月に ( AU MOIS DE MAI )

 

5月は1日の“メーデー、勤労者の祭り”(Fête du Travail)で始まりました。この日は1560年、時のフランス王シャルル9世以来続く伝統の“スズラン祭り”(Fête du Muguet)でもあり、幸運をもたらす花のスズランを1輪、2輪と贈る慣わしがあります。5月には爽やかな若葉、紫色や紅白の花が春の盛りを唄っているかのようです。藤(la glycine)やリラ(le lilas)の紫色や白い花もあります。紫色の花といえば桐の花(le paulownia)も見頃、エトワール広場からカルノ通り(Avenue Carnot)13区の区役所前のイタリー広場(Place d’Italie)、同様に20区の区役所前のガンベッタ広場(Place Gambetta)など、光によってはボーっと霞んだ様に見え、心が和む思いです。マロニエ(le marronnier)や西洋サンザシ(l’aubépine)には白い花と紅い花があります。紫がかった濃いピンク色の花蘇芳(どなたかフランス語名を教えて下さい)も春らしい華やかさがあります。花壇には色とりどりにチューリップ(la tulipe)が咲いています。「花玉春爛」、いずれもわざわざ遠く迄足を運ばなくても、メトロの切符1枚のパリ市内で十分楽しめます。シャンゼリゼ大通り(Avenue des Champs-Elysées)の中程ロン・ポアン(Rond-Point des Champs-Elysées)からコンコルド広場(Place de la Concorde)、チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)、モンソー公園(Parc de Monceau)、トロカデロ広場(Place du Trocadéro)からパッシー(Passy)周辺の16区の住宅街、ビュット・ショーモン公園(Parc des Buttes Chaumont)、モンスリー公園(Parc Montsouris)とパリ国際大学都市(Cité Internationale Universitaire de Paris)、リュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)、、、、好天の日には、のんびりと春の散策をお勧めします。疲れたらカフェに入って一休み、シャンパンの一杯、冷たいビールの一杯もよいものです。もしも田舎に出掛けるのでしたら、野や畑に真紅のヒナゲシ(le coquelicot)が風に揺れ、そこにモネの描く景色が見られるでしょう。暦を見ればもう“立夏”、未だに肌寒さの残る冴えない日もありますが、そうこうしているうちに、いつの間にか春が通り抜け、或る日突然に夏がやって来る、そんな気配も感じられます。事実54日から5日間程はパリでも日中の気温が25℃を超える暑い日が続きました。

 

*「税関吏ルッソー“アーカイックな無知”」展  ( Expo  « LE DOUANIER ROUSSEAU –

L’ INNOCENCE ARCHAÏQUE » ) 熱帯植物が生い茂る密林に動物が争う画で知られるアンリ・ルッソー(Henri Rousseau(1844-1910))は、質素なブリキ屋の息子で、税関の一職員として働いていたことから、後に詩人アルフレッド・ジャリィ(Alfred Jarry(1873-1907))から“税関吏”とあだ名のように呼ばれる様になりました。ジャングルの絵を描いても、フランスからは一歩も外へ出た事がなく、いえ、パリの植物園から遠くへは行った事がなく、新聞や雑誌に載る植民地の様子から想像に想像を重ね、パリの自然科学博物館にある剥製の動物と熱帯植物園の樹木を参考に全く根拠のない伝説めいたものを作り上げては、1870年頃から絵を描くようになりました。絵を習ったことも、ましてや遠近法や明暗法も知らず、その奇抜な構図や色彩は1885年の“アンデパンダン展”(Salon des indépendants de 1885)で受賞してから世間に知られるところとなりましたが、当初は嘲笑され、皮肉られ、酷評を受けました。1891年の作品“驚き(Surpris)”は、雷雨に慄く虎を描いたもので、ジャングル・シリーズの第1作ですが、実は子供の本にあった挿絵を複写したと云われます。1893年、絵に専念しようと税関吏を退職しましたが、2度の結婚で7人もの子供が出来、その中の6人を亡くしたり、金銭的にも苦境にあり、作品も使った絵の具の色の数で売値を決めることにしていましたので、自ずと色彩豊かなものが多く出来上がりました。しかし詩人のアポリネール(Guillaume Apollinaire(1880-1918))やピカソ(Pablo Picasso(1881-1973))達と知り合い、仲間受けをするうちに、むしろその独特な画風はピカソばかりでなく、後のデ・キリコやダリ、カンディンスキー、ボテロにまで大きな影響を与えるようになりました。1910年、ジャングルの中、長椅子に横たわるオリンピアを描いた“夢(la rêve)”という神秘的な、神聖な儀式とも見える作品を最後に“税関吏ルッソー”は壊疽でこの世を去りました。(オルセー美術館(Musée d’ Orsay)にて2016717日迄、月曜休館、毎日09301800、木曜日は2145迄、入場料12ユーロ)

 

*「野外のアトリエ“ノルマンディの印象派の画家達”」展 ( Exp. « L’ ATELIER EN PLEIN AIR – LES IMPRESSIONNISTES EN NORMANDIE » ) 4月中旬から“ノルマンディ印象派フェスティバル”が始まり、ルーアン、ジベルニィ、ルアーブルなどノルマンディ各地で印象派展が開かれていますが、パリでもジャックマール・アンドレ美術館にてクロード・モネの逆光を表現した”ヴァランジェヴィルの教会“や、ギュスタヴ・カイユボットの”トルーヴィルのヨットレース“などフランス初公開の作品など50点近くを展示しています。(Les toiles « l’Eglise de Varengeville à contre jour » de Claude Monet et « Régates en mer à Trouville » de Gustave Caillebotte sont montrées pour la première fois en France.) Musée Jacquemart-André (158,Blvd.Haussmann,Paris 8e - Métro « Miromesnil »)2016725日迄 毎日10時−18時、月曜日2030迄、入場料12ユーロ

 

*「アトリエの中“写真が捉えたアーティスト、アングルからジェフ・クーンズまで”」展( Expo. « DANS L’ ATELIER – L’ ARTISTE PHOTOGRAPHIE, D’ INGRES A JEFF KOONS » ) 閉ざされたアトリエに入り、アーティストの最も近くで、ひたすら制作に励む姿を隠すことなく捉えた、アングルからピカソ、マチス、ザッキン、ブランクジ、カミーユ・クローデル、ジャコメティ、、、、そしてクーンズに至る興味深い400点余りの写真を展示、同時に撮影したカメラマン自身もまたアーティストであることを証明する展示会です。2016717日迄、プチ・パレにて : Petit Palais (Avenue Winston Churchill, Paris 8e – Métro « Champs

-Elysées-Clémenceau ») 月曜日を除く毎日10時−18時、金曜日21時迄、入場料10ユーロ

 

*シャンゼリセ通りが歩行者天国に ( LA PIETONNISATION DES CHAMPS-ELYSEES )

パリ市は毎月第一日曜日にシャンゼリゼ大通りを歩行者天国にする事に決定、51日はメーデーでしたので58日の日曜日から実施しました。(L’ avenue est piétonnisée tous les premiers dimanches du mois.) この他にも市内9ケ所を週末や祭日に歩行者に開放する計画が進められています。又既にご存知の通り、市内の各美術館は毎月第一日曜日は入場無料になっています。

*2016511Sainte Estelle 日の出0614・日の入2120 パリ朝夕14℃・日中20℃曇天、

ニース17/20℃曇天、ストラスブール11/24℃曇天、「カタツムリ食べはしないよ頭出せ」(安芸寛)

フランス通信(126)                       Paris, le 12/AVR/2016

126

*春に ( AU PRINTEMPS )

 

毎年復活祭(Pâques)(Easter)(今年は327日でした)が過ぎますと、本格的な春を感じます。今冬は“暖冬”と云われ、小雪がちらつくだけで、積もることなく、暖かな陽射しを楽しんでいると突然に厚い黒雲がやって来て、辺りが暗くなったと思えば、冷たく強い風が吹き荒れ、霰や雹が斜めに音を立てて降り、変化の激しい天気となって、いよいよ春の到来、と感じます。日本の各地からは桜の花便り、こちらも黄色の連翹、黄水仙、淡い色のマグノリアに続いて桜ん坊の実る白い花の桜、そして大きくて色の濃い八重桜が派手に咲いて、近くのソー公園(Parc de Sceaux)では同窓会や日本人会等が恒例の“お花見”を催しています。週刊誌l’Expressの最新号でもソーの特集があり「254本の桜が咲く頃になると“日本人達が名所巡礼(花見)にやって来る”」(Au printemps, la communauté nipponne s’y rend en pèlerinage.)と写真入で紹介しています。この頃は日本人の楽しそうな“お花見”を真似てか、フランス人達も桜の木の下でピクニック、ちょっと気になるお弁当の中身を覗きましたら、バゲット・パンは切らずに長いまま、バターは紙包みのまま、サラミ・ソーセージもゴロンとそのまま、トマトは洗っただけで丸のまま、苺は市場で買った紙袋のまま、、、、と、“まま”づくし、お皿やフォーク、ナイフも普段使いのまま持ち込んで、赤い毛氈ならぬ使い古しの毛布を敷いて“花より団子”、賑やかに楽しんでいます。そう云っている間にもマロニエの枝先に若葉が開いて、あの大きな葉が、どうしてこんなに早く伸びるのか、夜間に耳を澄ませばバリバリと音が聞こえるのではないかと思う程の力強さ、その若葉の蔭から神楽の鈴に似た花の蕾が見られるのも間もなくです。朝市には白くて太い白アスパラガスや色鮮やかな苺が並んでいます。ところが最近になって顔や身体のあちらこちら、眼や喉が痒く、涙や鼻水が止らず、クシャミが絶えず、こんなことは今迄に経験したことが無かったので医者に診て貰いましたら「貴方の中のアレルギーのバケツが一杯になったのですよ、、、。」とのこと、そうなのでしょうか。今迄“花粉症”(l’allergie aux pollens)の人を気の毒に思っていた自分が、、、、、どうやら春が原因しているようです。

 

*スペクタクル<シャガール“真夏の夜の夢”> ( Spectacle « SONGES D’ UNE NUIT D’ ETE » de CHAGALL )

 

 南仏アルルから約15q、アヴィニョンから約25q、葡萄やオリーヴの畑の中を行くと、やがて奇岩、巨石むき出しの台地が見えてきます。プロヴァンス地方の景勝地“レ・ボー・ド・プロヴァンス(Les-Baux-de-Provence)です。村に入ると旧い街並みが頂上の城砦まで続き、小さな道が何時も賑わっていますが、村の入り口からひと山廻り込んだ所に、19世紀にアルミニウムや鉄を含んだ鉱石が発見され、村の名前をとって”ボーキサイト“(les Bauxite)と呼ばれ、当時のアルミ産業に大いに貢献した採石場があり、その廃坑がそのままになっていたものを、広大な採石場の美しさに魅せられた写真家のアルベール・プレシィ(Albert Plecy(1914’1977)) が、採石により出来た空間の利用を考え、これを舞台として数々の催事を企画、開催して好評となり、「イメージ大聖堂」(la Cathédrale d’ Images) と名付けました。その後2006年にはセザンヌの没後100年の記念に”セザンヌ・カラー“(Couleurs Cézanne)と題した光と色と音の大スペクタクルを開催、今回はマルク・シャガール(Marc Chagall(1887-1985))の作品”真夏の夜の夢“(1939)から名付けたテーマで、石切り場の中5000uもの天井から壁、地面に至るまで、シャガールの代表作の数々を、投影による光と色の映像と、音響による格調高い音のハーモニーで展開、見ている自分が、まるで絵画の中に浮き上がるような不思議な錯覚すら覚える、感動的なスペクタクルです。201718日迄、「光の採石場」(Carrières de Lumières, 13520 Les-Baux-de-Provence)にて、www.carrieres-lumieres.com

 

*2016年度バゲット・グランプリ ( GRAND PRIX DE LA BAGUETTE DE PARIS 2016 )

 

1994年に始まったバゲット・パンのコンクール、第22回目の今回は、腕に自信のあるパリ市内・郊外の約1220軒の手作りのパン屋さんから選抜、155人のパン職人が参加して行なわれました。パンの長さ55-65cm、重さ250-300g、焼き具合、手触り、色、形、味、香り等を15人の審査員が5時間に亘って厳しく評価、採点した結果、48, rue Madame, Paris 6eのパン屋 « La Parisienne »のミカエル・レデレ(Mickaël Reydellet)さん(32才)がグランプリに輝きました。ミカエルさんは慣例に従い、今後1年間、エリゼ宮の大統領府へ毎日バゲットを納める大役を果たします。

 

*旅券の更新 ( LE RENOUVELLEMENT DE PASSEPORT )

 

小信121123号の3回に亘りフランスでの滞在許可証更新の実際を自身の経験を例に記述しましたが、日本の旅券も有効期限が近付きましたので、更新手続きをしました。まず在フランス日本国大使館の領事部へ出掛けて問い合わせました。大使館入り口でのセキュリティ・チェックは極めて普通、受付で旅券を提示して用件を告げ、中に入って窓口へ。並んで長時間待つことも無く、日本語で親切な応対、、、、滞在許可証更新の時のフランスの警察署とは大違いです。有効期限の1年前から手続き可能、6ヶ月以内に撮影の縦45ox横35oの写真1葉を用意、“旅券発給申請書”1枚を記入するように、現在有効な旅券を持ち、記載事項に変更が無ければ戸籍の提出は省略、申請の際には旅券と滞在許可証を持って来る様に、手数料は、10年有効の旅券の場合は114ユーロを現金払い、その他受付時間も記された要綱を丁寧に説明して渡して呉れました。申請書の内容は、氏名(フリガナ、ローマ字)、生年月日・年齢、本籍、現在の旅券番号、現住所、自宅電話番号、携帯電話番号、連絡先電話番号、日本国内の緊急連絡先住所・氏名・続柄、電話番号、刑罰の有無、所持人自署、申請者署名、で、黒インク、黒ボールペンで記入、となっています。早速用意して再度出掛けました。窓口で記入済みの申請書、写真1葉、現在の旅券を提出、滞在許可証を提示しました。一通り内容をチェックして受付、1週間後に新しい旅券が出来上がるので、その日以降に現金114ユーロを用意して取りに来るようにとのことでしたので、10日後に取りに行き、無事新しい旅券を手にしました。交付手数料が滞在許可証の場合は同じ10年有効のもので260ユーロでしたし、何よりも毎回朝早くから長蛇の列に並ばなくとも済み、日本語で事が済む、この有り難さをしみじみ感じました。かくして日本の旅券も更新出来ましたので、これから10年間は安泰というものです。

*2016412 Saint Jules   日の出0705・日の入2038、 パリ朝夕7℃・日中15℃曇天、ニース11/18℃晴天、ストラスブール7/19℃曇天  *パリ・ヴェルサイユ地区の学校は417日から51日迄春休みです。「マロニエの芽も膨らみて風光る」(安芸寛) 皆様どうぞお元気で、菅 佳夫

フランス通信(125)                   Paris,le 12/MAR/2016
124

*三月に ( AU MOIS DE MARS )

弥生三月、強風、大雨、高波、雪崩、、、、突然の強い風に、向かい側の2本のポプラが深くお辞儀をするように傾き、一瞬の吹雪も15分と続かず、黒雲が切れて強い陽の光、と変化の激しい天気に、春が近いことを感じます。日も次第に長くなり、先日までは夕方5時頃には暗くなったものが、今はもう7時頃迄明るくなって、年甲斐も無く何かワクワクと嬉しい気が致します。“三月サクラの咲く頃は、、、、あ、ポカポカ陽気のせいですナ、、、”、その昔ラジオで“日曜娯楽版”という番組があって、その中のミキ・トリローの“冗談音楽”で唄われていた曲を、何故か急に思い出しました。今冬は朝夕が凍ることも稀で、日中も穏やかな日が続きました。こちらの新聞にも « non-hiver » (冬無し)との見出しで「この冬は史上最も暖かく、平均気温が8℃」(Cet hiver est le plus chaud de notre histoire. Avec une moyenne de 8 ! »と書かれていました。ピ、ピ、ピ、、、ツピ、ツピ、ツピ、、、ピー、ピー、ピー、、、普段に聞かれるカラス(le corbeau)やカササギ(la pie)のカァ、カァ、ガチャ、ガチャと騒がしい声とは違った可愛らしい小鳥達のさえずりにも春が感じられます。12月に既に満開となった南仏のミモザ(le mimosa)1月に咲き始めた黄水仙(la jonquille)、そして山吹(la kerrie)、クロッカス(le crocus)、野畑にキンポウゲ(le bouton-d’or)、家々に連翹(le forsythia)、、、と、いつものように黄色い花で今年も春が始まったようです。日本の新聞にも「神奈川県二宮町の吾妻山公園では、暖冬の影響で平年よりも早く1月中旬に菜の花(les fleurs de colza)が満開」との記事と写真が載っていました。320日は「春分の日」(l’ équinoxe de printemps)、こちらは祭日扱いではありませんが、春を歓びます。

*夏時間 ( L’ HEURE D’ ETE )

327日(日曜日)午前2時に時計を1時間進ませて3時にして下さい。夏時間のスタートです。1030()に冬時間に戻る迄続きますが、日本との時差は7時間となり、こちらの朝の8時は日本では同じ日の15時、午後3時となります。

*駅弁 ( BENTO DE LA GARE )

先信で一寸触れたパリで販売する「駅弁」のこと、好奇心と懐かしさに駆られてパリ・リヨン駅へ行きました。用事を済ませた帰りに寄ったのが16時過ぎ、TGV列車発着のホール2(Hall 2)の中程に「駅弁」(EKIBEN)というキオスクがあり、日本人の店員さんが3人笑顔で応対してました。売れ行きは大変によく、毎日完売とのこと、私もやっと残っていた“幕の内弁当”を2個買うことが出来ました。店員さんが口を揃えて云うには、やはり日本人が懐かしそうに、嬉しそうに買って下さるのが嬉しい、外人客の質問に答えたり、説明したりするのは、大変疲れるとのことでした。パリ・リヨン弁当(15euros)、幕の内弁当(15euros)、おもてなし弁当(13euros)、助六弁当(8euros)、おにぎり弁当(8euros)5種類で、今のところ4月末日まで毎日販売するそうです。家に帰って試食しましたら、包装と容器が立派過ぎて、捨てるのが惜しい位、味は淡白、薄味で健康志向、海老天の揚げ油が匂う、米飯が今一、あえて点をつければ70点といったところでしょうか。駅弁誕生は1885年に宇都宮駅で販売のおにぎり弁当、駅弁の定番「幕の内弁当」は1889年姫路駅で販売されたものが最初、、、ということを今回のチラシで知りました。

*モジリアニ“内心の眼差し”展 ( Expo. « AMEDEO MODIGLIANI, l’ oeil intérieur » )

アメデオ・モジリアニ(18841920)は、短い生涯を強烈な光芒と共に生きた天才的な画家であり、Modi と呼ばれましたが、それはフランス語のMaudit(モディ)「呪われた」に通じていたと云えましょう。病弱なアメデオは14才で腸チフス(la fièvre typhoïde)に罹り、幻覚に光や色の閃きを見て絵描きになろうと決心、母親はイタリア印象派画家のミケーリのアトリエに行かせました。16才の時に肋膜炎(la pleurésie)に倒れた彼を母親は気候の良い南イタリーへ連れて行き、ナポリ、ローマで美術館、画廊や教会を巡り、18才の時にはフローレンスで美術学校に登録して絵画を習い、190622才でパリに到着、都会らしい雰囲気、光、音に魅かれ、ルーブル美術館で古代エジプトやアフリカの未開の芸術、ギメ美術館でクメールの芸術に出会って刺激を受け、その影響は、後の作品の形、線、図柄、顔、眼、等の基礎を作り上げたようです。人々が印象派の作品を争って手に入れていた時代であり、モネ、ドガ、マチス、ピカソ、ロダン、等に会う機会も多く、パリで生活する事を決め、モンマルトルに住んだモディは自分の作品を展示販売してみましたが、全く売れず、貧乏のどん底に落ち込みました。しかし1913年にアンデパンダン展に出した“ユダヤの女”(la Juive(1907))という作品が売れ、彫刻家のブランクージに習って彫刻もやり、1912年サロン・ドートンヌ展に出品の“女性の頭”(Tête de femme(1912))等の7点は報道陣の注目を浴びました。こうして少しは世間に名前が知られるようになりましたが、酒と女、麻薬、病気、で苦悩は絶えることなく続きました。その後区画整理でモンマルトルを追われた芸術家達はモンパルナスに集まる様になりましたが、1914年にはドイツの宣戦布告で第一次大戦が始まり、1916年頃からは“光の都”パリも全てが悲しく暗くなっていきました。カフェの“ラ・ロトンド”には、キスリング、彫刻のザッキン、詩のアポリネール達が兵隊用の大きな外套を纏って次々にやって来るので、自分も軍隊に志願しましたが、結核に罹っているからと落とされてしまいました。体力も無く売れない彫刻は止め、もっぱら肖像画を描き、裸婦も描き出しました。191712月、画廊のベルテ・ウェイルによる展覧会に“座った裸婦”(Femme nue assise(1916))等を出展したところ、初日にベルテと警察署に召喚され、良俗秩序を乱す、との理由から、裸婦の絵は全て取り外す様に命じられ、一大スキャンダルとなりました。「何がいけないと云うの?」「恥毛が露わだから、、、」(« Mais qu’ ont-ils donc ces nus ? » « Ces nus ! Ils ont des poils ») 咳が止ることなく、衰弱したモディと、同棲し、妊娠もしていたジャンヌを、面倒見のよい友人で詩人のズボロフスキーはスーチンやフジタも誘って、気候の良いニースへ行き、暫く共に過ごしました。191811月女児誕生、母親と同じ“ジャンヌ”と名付けられました。19195月、モディはサロン・ドートンヌ展へ出展の為パリへ戻りますが病気が悪化、19201月に入院して間もなく35才の若さで逝きました。彼の死を伝え聞いたジャンヌは一言も発せず、次の子をお腹に宿しながら、5階から飛び降りて彼の後を追いました、、、。

201665日迄、リール市郊外のLaM(Lille métropole musée d’Art moderne)1, Allée du Misée, 59650 Villeneuve-d’ Ascq にて100余点を展示して開催中の14年振りの回顧展。毎日11時−18時(月曜日休館)

入場料10ユーロ(12才未満:無料)www.musee-lam.fr  (J.ベケル監督、ジェラール・フィリップ主演の映画「モンパルナスの灯」(1958) 、ご覧になった方もおありでしょう)(*“腕を広げて横たわる裸婦”(Nu couché les bras ouverts(1917/18))は、昨年ニューヨークで1億7千万USドルで取引されました)

2016312日 Sainte Justine 日の出0709・日の入1851 各地の気温:パリ朝夕6/日中12℃ ニース8/16℃、ストラスブール1/9℃、 “適当と勝手で出来る母の味”(津) 皆様どうぞお元気で(菅)

フランス通信(124)                   Paris,le 09/FEV/2016
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*2月に ( AU MOIS DE FEVRIER ) 

灰色の空、雲の流れは強い風に乗って激しく早く、東へ向ったり、西へ向ったり、時々は眩しいくらいの陽光が春を想わせたり、このところ変化に富んだ天気の毎日です。今冬は比較的に暖かく、パリでは未だに雪を見ていません。日の出が1分、2分と早くなり、日の入りも次第に遅くなり、1日が明るく長くなっていくのを感じるのは、何か希望が持てるようで好いものです。2月は「如月」、この“きさらぎ”という音も耳に心地よく感じます。朝市を覗きましたら、ミモザ(le mimosa)、アネモネ(l’anémone)、ヒヤシンス (la jacinthe) チューリップ(la tulipe)の花が色も鮮やかに、盛り上がるように並ベられていました。そして今朝の電車の窓から、私達が“小桜”と呼んでいるアマンディエ(l’amandier)の花が、丁度日本の梅の花のような雰囲気に優しく咲いているのを見つけて、2月は「梅見月」とも云うことを思い出しました。

*2月の暦 ( LE CALENDRIER DU MOIS DE FEVRIER )

今年は“閏年”(l’Année bissextile)にあたり、2月は1日多い29日あります。23日は「節分」で“鬼は外、福は内”と豆まき、4日は「立春」、7日からはニース、マルセイユ、リール、ストラスブール、ルーアン、ナントなどの地区の学校は21日迄「2月休み」(les Vacances de Février) 8日は「旧正月」、中国の「春節」、パリ19区のベルヴィル(Belleville)13区のイヴリィ通り(Avenue d’Ivry)やショワジィ通り(Avenue de Choisy)の中華街では、赤い紙に濃い墨で“恭賀新年”、“花開富貴”などと書いたビラや垂れ幕も派手やかに、14日迄正月用品の売り出し、恒例となった獅子舞(la danse du lion)や龍が玉を追う踊り(la danse du dragon)などの行列が、爆竹(le pétard)も激しく、鐘や太鼓のリズムにのって賑やかに練り歩いてパリッ子を喜ばせます。11日、日本では「建国記念日」の祭日、その昔は確か「紀元節」だったように思います。12日からは「ニースのカーニバル」(e Carnaval de Nice)、花で飾った沢山の山車(le char)に着飾った美女を乗せ、マセナ広場から海岸通りをパレード、花や色紙の花びら(les confettis)を投げ合う“花合戦”(les batailles de fleurs ) は有名です。ニースからモンテカルロを越えてイタリアとの国境近くの町マントン(Menton)では13日からレモンとオレンジで建物を飾り、山車を仕立て、街中が黄色とオレンジ色に輝きます。14日はご存知「聖バレンタイン・デー」(Saint Valentin)、パリから南へ約250q位、“聖バレンタイン”という名の村があります。長閑な田園地帯の中、人口350人ほどの平和な村で、毎年この日が近付くと、村中を花で飾って祝う習慣があり、“恋人達”の絵で知られるレイモン・ペイネ(Raymond Peynet)がバレンタイン・デーに因んでデッサンを村に贈ったことで知られています。最近日本のチョコレート屋さんがホテル・レストランを開き、日本からのカップルを迎え入れ、村役場で結婚式を挙げるので、村長さんも大忙しとか、、、、。14日から28日迄リヨン、ディジョン、ボルドー、グルノーブルなどの地区の学校が「2月休み」、月末には“フランス最大の農場”と呼ばれ、牧畜も含む恒例の「国際農業展示会」(le Salon International de l’Agriculture)もパリで開催され、パリ、トウルーズなどの地区の学校の「2月休み」は21日から36日迄予定されています。こうした祭続きの地上の騒がしさに、地中で冬眠中の小動物達も落ち着かず、早々に目を覚ますことでしょう。

*偽物博物館 ( LE MUSEE DE LA CONTREFACON )

パリでも瀟洒な街、ブローニュの森に近い16区に、偽物を根絶することを目的に、本物を紹介し、偽物を展示している博物館があります。(Dans les beaux quartiers du 16e arrondissement de Paris, un petit musée prêche le vrai pour éradiquer le faux.)今日のフランスでは偽物と判れば即時その場で押収、処分され、偽物を所有する、使用することも禁止されています。しかし偽物の中には本物と少しも変らぬ、むしろそれ以上の出来の良い品もあって、国境や空港、海港にての税関に於いても、その判断は容易ではありません。よく見ればディオールの銘がDiarであったり、アジダスのマークがAdadasであったりします。この博物館に展示されている物の8割は各地の税関にて偽物と判断されて押収された“本物の偽物”で、本物と偽物を並べて展示、どちらが“本当の本物か”を見学者に問うものもあり(Deux produits, l’un bidon, l’autre authentique, cherchez l’erreur) なかなかに興味深いものがあります。これらはメーカーにとっても消費者にとっても大きな問題であり、有名銘柄の香水、衣料、眼鏡、時計、装身具ばかりでなく、今一番の問題は効き目の無い薬品、時には死を招くような偽の薬品、それから自動車の各種パーツ類、先般話題になった、牛肉100%のラベルが貼られた馬肉で作ったハンバーグの冷凍品、、、、、この小さな博物館はこうした事実に対して、真偽を見分ける方法を教えて注意を促し、商工業に於ける重要さを解説して、偽物との戦いに挑んでいます。実はこの博物館の建物自体もマレ地区の或る貴族の館(la bâtisse du Marais)のコピーであり、所在地の通りの名前も 敢えて云うなら« faisander »に遠まわしに“騙す、盗む”の意味があるそうで、偶然とは云え面白さを感じます。16, Rue de la Faisanderie, Paris 16e, メトロPorte Dauphine, 月曜日を除く毎日14001730、入場料6ユーロ です

*フランスの人口統計 ( LA DEMOGRAPHIE )

INSEE (Institut National de la Statistique et des Etudes Economiques国立統計経済研究所)の調査により年頭に発表された2016年度のフランスの総人口は6660万人で、2006年は6290万人でしたから、ここ10年間で370万人もの人口増加をみたことになります。“フランス人”とは人種ではなくフランス国籍を持ち、フランスに住む人を指しますから、この増加の裏には外国人、移民、難民などの受け容れが原因していることも事実で、それにより出生率が大きく伸び、現在フランスの出生率はヨーロッパで一番です。(La France reste la championne d’ Europe de la fécondité.) 平均寿命(l’ espérance de vie)は、女性が85才、男性は78,9(85 ans pour les femmes et 78,9 ans pour les hommes)とのことですが、長寿国日本と比較してどうでしょうか。因みに1740年のフランス人の平均寿命は女性26才、男性は24才であったとか、、、、、。

*駅弁 ( EKIBEN ) フランスで日本の「弁当」がもてはやされ、色々な“弁当箱”も売られて

いますが、中には何でもかんでも箱に詰めれば“弁当”と呼ぶ人も居るようです。ところで先日こちらのミニコミ紙の広告に“2月末日よりパリ・リヨン駅にて駅弁販売、販売スタッフ募集”

とあり“駅弁”に興味を覚えました。TGVでマルセイユへ行く時にでも買ってみましょうか。

201629日(火)Sainte Apolline 日の出0809分・日の入1800分、天気:パリ朝夕6/日中10℃曇天、ニース10/15℃曇天、ストラスブール7/11℃曇天「メトロよりバスに乗りたし春の街」お元気で、菅

フランス通信(123)   賀 新春               Paris,le 11/JAN/2016
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「皆様、明けましておめでとうございます。新たな年を迎え、皆様の益々のご健勝を

お祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い致します。」

*大晦日から元日へ(de la Saint Sylvestre au Jour de l’An) : このところ部屋の奥まで強い陽光がサァーッと射したり、一日中シトシトと小雨が降り続いたり、まるで雲の中に居るかのように濃い霧が漂ったり、テラスの植木鉢を倒す程の強い風が吹いたり、、、落ち着かない天気はいつもの通りの冬ですが、気温だけが違って例年よりも暖かく、零下になることがありません。そんな大晦日、夜を徹してのお祭り騒ぎも相変らず、パリの舞台と云えるシャンゼリゼ大通りにはパリっ子ばかりか世界中の人々が集まって凱旋門に映るプロジェクションによる色々な人の笑顔や花火を見ながらカウント・ダウン“3,、、2,、、1、、,2016、!”で三色旗となり、非常事態発令中(en état d’urgence)にも拘わらず何事も無く「健康に満ち、そして沢山の愛を」(Pleine Santé et beaucoup d’Amours)と口々に唱えて新たな年を賑やかに迎え、祝いました。バスやメトロは終夜運転、元日の昼まで運賃無料のサービスでした。

*元日(Le Jour de l’An) : 初日こそ拝めませんでしたが、濃霧の漂う白い元旦を迎えました。TVとラジオ同時にウイーンから恒例の“ニューイヤーズ・コンサート”の実況放送、マリス・ヤンソン(Mariss Jansons)指揮のウイーン・フィルによるワルト・トイフェルやシュトラウス父子の名曲の数々、ウイーン少年合唱団のコーラスも入って、フィナーレは不可欠の”美しき碧きドナウ“そして”ラデツキー行進曲“で正月気分を盛り上げました。あとは大変静かな1日でした。

*国連気候変動枠組み条約の第21回締約国会議(COP21)(Nations Unis – Conférence sur les

Changements Climatiques 2015)例年ですと1月末から2月に聞かれる南仏コート・ダジュールからのミモザの花便りが、クリスマスから新年に掛けて既に満開の報。「気候温暖化」(le réchauffement climatique)の所為かと驚きましたが、昨年1113日のパリ同時多発テロ事件が起きたばかりの厳戒中のパリ郊外ルブールジェの特設会場で1130COP21会議が開幕、オランド大統領は黙祷に続く開幕演説で「テロを地球温暖化と並ぶ挑戦」と位置づけました。この会議は1211日迄行なわれ、世界150ヶ国の首脳が出席しましたので、会場は勿論パリや空港を結ぶ高速道路などが通行止めになるなどの厳重な警備体制が布かれましたから、この時期に出張や帰国そして送迎などで空港との往復に苦労なさった方も多かったことでしょう。

*今年の祝祭日(Les jours fériés en 2016) : 新年早々に話題になったのが、今年の祝祭日です。フランスには1年に11日の祝祭日が定められています。今年は11日元日(Jour de l’An)328日復活祭の月曜日(Lundi de Pâques)51日メーデー(Fête du Travail)55日昇天祭(Ascension)58日戦勝記念日(Victoire 1945)516日聖霊降臨祭の月曜日(Lundi de Pentecôte)714日革命記念日(Fête Nationale)815日聖母被昇天祭(Assomption)111日諸聖人の祝日(Toussaint)1111日休戦記念日(Armistice 1918)1225日クリスマス(Noël)です。ところが51日、58日そして1225日が日曜日と重なるので、日本の様に振り替え休日などと云う制度も無く、おまけに今年は“閏年”(l’année bissextile)、よく見れば2017年の元日も日曜日、、、、新年早々から「アァ」と嘆く人も居る訳です。(Certains se plaignent qu’en 2016 les 3 jours fériés tombent un dimanche.)“パリっ子の嘆き”(la voix plaintive des Parisiens)は尽きません。

*エピファニー(l’ Epiphanie) : 16日は“主の公現の祝日”或いは“王様の祭日”(la Fête des Rois)と呼ばれ、東方から星に導かれてやって来た3人の博士が神の子イエス・キリストの誕生を祝福したことを記念する日ですが、今ではそんな事よりも、これを祝う伝統的なパイ菓子“王様のガレット”(la galette des Rois)を切り分けて皆で食べる日となっています。この日が過ぎると、クリスマス・ツリーなど年末年始の飾り物を片付ける習いのようです。

*冬のソルド(les SOLDES d’ HIVER) :“冬物一掃大売出し”が16日から216日迄の期間全国一斉にデパートや商店で始まっています。今年も相変らずの経済危機(la crise économique)を反映してか、商品の現金化を図ろうとする店も多く、−30%、−50%、−70%もの値引きが見られ、主に衣料、靴やバッグ、アクセサリー類、電化製品に人気があります。インターネットで目玉商品を提案してネット販売をする店もありますが、やはり自分の目で商品を選び、自分の手に取って価値を確かめて買う楽しみ、それに今冬は余り寒くないこともあって、出掛ける人も少なくないようです。

*滞在許可証更新(LE RENOUVELLEMENT DE TITRE DE SEJOUR) <経験> 3/3

(前号から続く)、、、86日のことでした。何の気なしに携帯電話のメッセージを開けましたら、「ボンジュール、87日より旅券、旧い滞在許可証、それに260ユーロの印紙を持って貴方の滞在許可証を引き取りに来るように、、、アントニー警察支署」(Bonjour, vous pourrez retirer votre titre de séjour à compter du 07/08/15 avec passeport, anciens titres et 260 euros en timbres fiscaux – Sous Préf. Antony) 、、、 目を疑いました。こんなに早く、、、でも260ユーロとは、ちょっと痛いな、でも10年間有効だから、ま、仕方ないか、、、普通は近所の煙草屋やカフェで売っている収入印紙も、額面が高いのでわざわざ税務署まで買いに行きました。ところがなんと額面20ユーロの印紙を13枚よこすじゃないですか、それなら近くの煙草屋でもよかったのに、と思いながらも、気は楽でした。810日、又早朝から並んで待ちました。そして0845分に扉が開いて、セキュリティ・チェックを受けて、中に入り、受付で用件を云いましたら、引き取りは午後しかやっていない、との返事。近くにはカフェも無く、仕方なく一旦家に帰り、午後一番に出直して又行列に並びました。今度は大丈夫、番号札を取って許可証交付窓口の前で順番を待ちました。此処では身障者や妊産婦、赤ちゃん連れ、高齢者などが優先で、番号札があってもなかなか自分の番が廻って来ません。ジッと我慢しました。そして午後もかなり遅くなって、やっと順番が来ました。新しい10年有効の滞在許可証を手にして、受領の署名をして、、、これまでの苦労を忘れ、ストレスは解消しました。こんな時、いつも自分が“外人”なのだ、との意識を新たにします。今年は日本の旅券が切れます。今度は在フランス日本国大使館領事部へ出向いて、旅券の更新手続きをしなければ、、、。(完)

*2016111Saint Paulin 日の出0841・日の入1715、 パリ:気温=朝夕6℃・日中9℃ 雨天(風速70q/h)、ニース:10/17℃ 晴天、ストラスブール:5/8℃ 雨天

「書初めや 嫌な野郎の見事な字」(小沢昭一)     「平穏無事」を祈ります。菅 佳夫

フランス通信(122)                      Paris,le 12/12/2015
122

*「たゆたえども沈まず」 ( « FLUCTUAT NEC MERGITUR » )

去る1113()に起きたパリ同時多発テロ事件につきましては沢山の方々からご心配を頂き、ご親切なお見舞いを頂戴致しまして、誠にありがとうございました。お蔭様にて元気に、普通に生活を続けておりますのでご安心下さい。この事件後各地では多くの犠牲者への哀悼と皆の連帯の絆(la solidarité)を表わす標語等が掲示され、集会も行なわれました。その中で特に目立ったのはパリのシンボル・タワーであるエッフェル塔で、暫くの間フランスのスローガン「自由、平等、友愛」(Liberté,Egalité,Fraternité)を表わす青、白、赤の三色にライトアップされ(l’éclairage en bleu-blanc-rouge)、その上にパリの標語(la devise de Paris)「たゆたえども沈まず」(« Fluctuat nec mergitur »)というラテン語の文字が投影されました。これはパリの紋章“セーヌ河に浮かぶ帆掛け舟”に記された“強い雨風で如何に水面が荒れて揺さぶられても、船は沈むことはない”(le bateau est battu par les flots, mais ne sombre pas.)という意味の標語です。

シャンゼリゼ通りのイルミネーションも煌めき、クリスマス・マーケットも賑わっています。

*「ヴェルサイユに星の王子様」展 ( Expo. « LE PETIT PRINCE A VERSAILLES » )

南米航空路の開発に尽くし た飛行家であり、「夜間飛行」(Vol de nuit(1931))等を著した作家としても知られたサンテクジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry(1900-1944)略してサンテックス(Saint-Ex))の傑作「星の王子様」(Le Petit Prince)は、1946年フランスのガリマール社(Editions Gallimard)から出版されてより250ヶ国語に訳されて(日本では内藤濯・訳)今日もなお代々読み継がれ、「聖書」とマルクスの「資本論」に次ぐ世界第3位の売れ行きを保っているそうです。(Il reste toujours le 3éme livre le plus vendu dans le monde après « la Bible »et « Le Capital de Marx ») 1942年の春、当時アメリカに居たサンテックスは仕事も無く、フランスに戻って飛行家として空軍に加わり活躍したいと考えていましたが、作家という身分、そして何よりも既に42才という年令がそうはさせませんでした。(L’aviateur voudrait quitter les Etats-Unis pour aller combattre en Europe, mais son âge,42 ans, et son statut d’écrivain ne le permettent pas.) そんなある時アメリカの出版社の人とマンハッタンで昼食の折に、話をしながら何とはなしに紙ナプキンに描いた絵をみて「何かイラスト入りで物語を書いてはどうか」と冗談混じりの提案がありました。その後ロングアイランドに家を借り、友人のポール・エミール・ヴィクトールが絵の具箱を贈ったこともきっかけとなって物を書き始めました。彼の頭の中には1935年リビアの砂漠に墜落した経験、モロッコに居た頃飼いならした子狐のこと、自分達には恵まれなかった子供の姿の想像、、等が行き交い、ほぼ書き上げたものはコンスエロ夫人が描いた自画像をイメージした「小さな王子様」でした。1942年秋、それ迄に書いたイラスト入りの物語を出版社に渡し、帰ってきたら「小さな王女様」を書く、と約束して(Il promet alors qu’à son retour il écrira un nouveau conte qui s’intitulera La Petite Princesse.)激しくなってきた戦争の為に空軍に応召され、サルジニアへ参集して行きました。19447月、空軍機で地中海上を飛行中に行方不明(後に「私が撃ち落したらしい、、、」というドイツ軍のパイロットが現れたり、漁師の網に“サンテクジュペリ”と読める名前の入ったブラスレットが引っ掛ったり、、、)となってこの世を去るまでに彼自身は出版されたものを一度も見ることはなかったのです。出版後70年、当展では « le Petit Prince »と作者の横顔、エピソード等を数々の資料、写真、イラスト、などで紹介しています。その中にはエールフランスが保管する貴重な飛行日誌(Carnet de vol)やコンスエロ夫人(Consuelo de Saint-Exupéry)の作品で「星の王子様」のイラストになったブロンズ像も展示されています。2016228日迄ヴェルサイユ市のエスパス・リショー(Espace Richaud, 78,Boulevard de la Reine,78000 Versailles)にて、火曜日を除く毎日12時―18時(土、日は10時から)入場料5ユーロ(26才未満無料)(Espace Richaud :ルイ14世治下で聖ヴィンセンシオ・ア・ポーロ女子修道会運営の王立病院、1960年迄病院として続き、他の病院に統合されてからは、放置されたまま老朽化が酷く、ヴェルサイユ市が4年掛りで改修工事を行い、此の度文化センターとして再開、特に1859年建立のチャペルは見る価値十分と思います。)

*滞在許可証更新 (LE RENOUVELLEMENT DE TITRE DE SEJOUR) <経験>(2/3

(前号から続く)42日、早朝7時半頃から警察署に並びました。40人位の“色々な人達”が既に並んでいました。0845分、入り口の鉄扉が錆付いた重い音を立てて開き、警察官によるセキュリティ・チェックを受けて中に入り、番号札を取ってロビーに立ちました。スクリーンに映し出される番号を睨むこと2時間余り、やっと自分の番号が現れ、指定の窓口へ行き、揃えた書類を出そうとしましたら、そこは受付の受付(Pré-accueil)で、用件別にそこから別の窓口へ、、、、更に待つこと40分程、呼ばれた窓口では揃えてきた書類を一瞥するなり更新手続きに必要な書類のリストに緑色のフェルトペンでX印を入れ、これらの書類を揃えて「711430分に外人登録課21番窓口へ出頭すべし」となぐり書き同然のものと、「現在所有の滞在許可証は有効期限が切れても尚3ヶ月有効」という紙を渡されました。しかし、次は指定された日時に来ればよいから、と少々気は楽になり、もう一度必要書類を確かめて71日を待ちました。71日、生憎この日は日中40℃に達する“酷暑”(la canicule)で、14時頃は最も暑い時間、暑いからと変更も出来ず、木陰もない街道筋を歩いて警察署へ向いました。今度は並ぶ必要もなく、直接に指定された窓口へ行きました。揃えた書類のチェック、係りの女性が“一夫多妻ではないという証明書(Attestation de non polygamie)は?、、、あ、日本国籍だったわね、、、”一瞬驚きました。署名、両手5本指の指紋取り、、、、これから書類審査を無事に通過して新たな滞在許可証が発行されたら取りに来るよう携帯電話にメッセージを送る由、用意した返信用封筒は不要、と返されました。そして930日迄有効な仮の許可証を呉れました。係りの女性が最後にこう云いました:「皆があんたの様に綺麗にキチンと書類を揃えて持って来て呉れたら、私達はどんなに楽だろう、、、」そういえば、皺になった書類や、4枚別々に撮った写真を持って来て諌められ、受付を拒否されている人達を見かけました。さて友人達の話では、新たな滞在許可証が発行されるにしても、数ヶ月は掛るので、この仮の許可証の延長手続きも何回かしなければならない、とのことで“ああ、面倒だなァ、また並ぶのかァ、”との思いでした。(次号へ続く)

*20151212Saint Corentin 日の出0834分・日の入1653分、パリ朝夕5℃・日中9℃曇天、ニース6℃・16℃晴天、ストラスブール6℃・10℃曇天、ピレネ、アルプス山脈400m以上に降雪

「落葉なほ命たのしみ風と舞ふ」(鈴木七郎) もう“師走”お元気で良い年をお迎え下さい。菅 佳夫

フランス通信(121)                     Paris,le 11/11/2015
121

*立冬 ( LE PREMIER JOUR D' HIVER )

11月も8日"立冬"を迎えると流石に気温も下がり、建物ばかりかメトロやバスなどの乗り物にまで暖房が入りますが、このところ一寸穏やかな天気が続いています。この辺りは朝に晩に霧が立ち込め、湿気で黄色に進んだ枯葉(les feuilles mortes)が茶色の落葉となって散り積り、窓から見える景色は、松や杉などの針葉樹(les conifères)、それに木の枝に引っ掛ったようなヤドリギ(le gui)が目立つほかは、木々は黒々と枝や幹ばかりとなり、それだけ空間が増え、北風に寒々とした感じがしています。霜が降りてどの屋根も真っ白となるのも間もなくでしょう。さて"実りの秋"、今年の"ボージョレ・ヌーヴォー"(Beaujolais nouveau)の解禁日は今月の第3木曜の19日、夏が暑く、ブドウが早く熟して収穫も早めに行なわれ、出来上がりは上々と前評判も高いようですし、ボージョレの他にもトウールを中心にロワール河やシェール川沿岸地区のトゥーレーヌ(Touraine)等の新酒も出始めますので楽しみです。しかし白ワインで名高い"シャブリ"(Chablis)など、収穫を前に大嵐(la tempête)の被害に遭った所もあると聞いています。

*「限り無きワーホル」展 ( Expo. « WARHOL UNLIMITED » )

キャンベルのスープ缶をモチーフとした作品で知られるアンディ・ワーホル(Andy Warhol)192886日ピッツバーグの労働者階級(la classe ouvrière)の家に生まれ、子供時代は神経障害(un trouble neurologique rare)に罹り、病床にあったのですが、絵画に対する興味が強く、21才の時にニューヨークに出て宣伝広告の図案を描く仕事に就きました。デパートのショーウインドーを飾ったりするうちに、簡単なようで他人が真似する事の出来ないものを創るようになり、評判を得て、後に"ポップ・アート"と呼ばれるまでになり、1964年にFactoryという名で独自の工房を設けて活躍しました。今回はマリリン・モンロー、毛沢東、ジャッキー・ケネディ、といった有名人の顔を何処かメランコリックな表情に影をつけて並べ、或いはサイケデリックな牛の頭を配した壁紙の上に作品を載せた « Big Electric Chair »、細かな色の変化を102枚の画を貼り合せて表わした « Shadows »、花のモチーフのシリーズ « Flowers »等々、装飾と云った方がよさそうな作品200点余りを展示しています。しかし200点余りとは云ってもワーホルの作品のほんの水の一滴に過ぎず(Avec plus de 200 oeuvres, elle reste une goutte d'eau dans la production de Warhol)1987221日、胆嚢の手術を受けた翌日、睡眠中に心臓麻痺の為58才で亡くなりましたが、ワーホル亡き後も作品は手品の如く次々に「限り無く」出てくるのだそうです。パリ市立現代美術館にて201627日迄開催、月曜を除く毎日10時−18時(木曜は22時迄)、入場料12ユーロ (Musée d'Art moderne de la Ville de Paris, 11,Avenue du Président Wilson, Paris 16, メトロAlma Marceau) www.mam.paris.fr 

*"人間博物館"再開 ( LE MUSEE DE L' HOMME ROUVRE )

パリのトロカデロ広場(Place du Trocadéro)に面したシャイヨ宮(Palais de Chaillot)内に1937年創設の人間博物館は、展示も当時のまま、暗く人気もない状態でしたが、此の度6年半の改装工事を終え、「我々は誰なのか?」(Qui sommes-nous ?)、「我々は何処から来たのか?」(D'où venons-nous ?)そして「我々は何処へ行くのか?」(Où allons-nous ?)という三つのテーマを設けて人間の歴史を解りやすく物語る展示も新たに再開しました。一見の価値十分にあるものと思いご紹介します。火曜を除く毎日10時−18時(水曜は21時迄)、入場料10ユーロ(Musée de l'Homme, Place du Trocadéro, Paris 16e, メトロTrocadéro) www.museedelhomme.fr

*滞在許可証更新( LE RENOUVELLEMENT DE TITRE DE SEJOUR ) <経験>(1/3

10年間有効の滞在許可証(CARTE DE RESIDENT)6月で切れるので、1月早々に居住地の管轄アントニー警察支署(Sous-Préfecture d'Antony)へ行き、行列に並んで中に入り、インフォメーション・デスクに又並んで、更新手続きにはどんな書類を用意すべきか、申請方法、等を尋ねました。口頭での返事は無く、面倒臭そうな表情で投げるようによこした1枚の紙、手続きは何時から受け付けるのか、時間は、、、?「そこに書いてあるからよく読みなさい。」と初めて口を利いて呉れました。その紙によると私の場合は「有効な旅券(Passeport en cours de validité)、写真4(4 photos récentes,3,5 x 4,5cm), 現在有効な滞在許可証とその表裏のコピー(Photocopie de votre carte de résident recto-verso)、住所・名前を書き郵便切手を貼った返信用封筒(1 enveloppe à votre nom et adresse, affranchie au tarif en vigueur)、既婚者は3ヶ月以内に発行された結婚証明書、フランス語に法定翻訳されたもの(Si vous êtes marié(e) : acte de mariage de moins de 3 mois, traduit en français par un traducteur assermenté)、妻又は夫の滞在許可証又は国民身分証明書(la carte de séjour ou la carte d'identité français de votre conjoint)、居住証明書として3ヶ月以内に発行の家賃の支払い証、又は電気・ガスの支払い証(1 justificatif à votre nom de moins de 3 mois : quittance de loyer, facture gaz,électricité ,,,,)過去10年間に3年以上継続して外国に住んだことは無いという自己申告書(Déclaration sur l'honneur selon laquelle vous n'avez pas séjourné plus de 3 années consécutives hors en France,au cours des 10 dernières années)を揃え、更新手続きは現在所持する滞在許可証の有効期限の2ヶ月前から受け付ける(Le dossier de renouvellement doit être déposé dans les 2 mois précédant l'expiration du titre de séjour)と記されていました。受付時間は?と尋ねましたら相変らず無口のまま、指差す方を眺めれば"水曜、土曜、日曜祭日を除く毎朝084511時"と掲示されていました。さてそれからは書類準備に入りました。まず本籍地の東京・港区の区役所戸籍係に連絡して結婚証明書として戸籍謄本を請求、郵送を頼み、住所氏名を明記した返信用封筒、交付代金、郵送費として千円札1枚(持っていたからよかった)を入れて郵送しました。2月中旬でしたかそれが届きましたので、早速に法定翻訳を頼みに行き、ついでに写真屋で規定の写真を撮ってもらいました。3月中旬に法定翻訳も写真も出来上がりましたので、他の必要書類のコピーを撮り、更新手続きに提出すべき書類を揃えて4月を待ちました。(続く)

*クリスマス・デコレーション ( LES DECORS DE NOEL )

シャンゼリゼのイリュミネーションは1118日に点灯式、180軒の山小屋風の店が並ぶクリスマス・ヴィレージ(le village de Noël)も開店、コンコルド広場の大観覧車も回ります。毎年少しづつ時期が早くなっているのはLEDのお蔭、日曜営業の問題も含めフランス人の商魂が目覚めたのでしょうか。スリにご注意。

*20151111Armistice 1918 (1次大戦休戦記念日) 日の出0752・日の入1716

パリ:朝夕9/日中15℃曇天、ニース:12/18℃晴天、ストラスブール:8/13℃曇天 お元気で(菅)

フランス通信(120                         Paris,le 07/10/2015
120

*秋に( EN AUTOMNE ) 9月末から10日以上も続いたでしょうか、珍しい秋晴れの暖かな好天に、これが"インディアン・サマー"(l'été indien)と呼ぶ秋の"小春日和"と気付きました。夜になっても空には雲ひとつ無く、"名月"を満足に仰ぎ見ることも出来ました。でも927日の月は違いました。明るい満月で、光は部屋の奥まで射し込んでいたのですが、ふと気がつくとその光が消え、外が暗く感じてバルコンに出てみましたら、いつの間にか月は光もなく、濃い黄色地に紅いムラムラが付いた奇妙なものになっていました。"ルナ・ロッサ"という歌を思い出しましたが、何やら月食(l' éclipse de lune)だったのだそうで、やがて左端から徐々に光を回復して、西の空に沈んでいきました。このような月を見たのは初めてのこと、この次に見られるのは2033年だそうです。お手伝いしている幼稚園の運動会も好天に恵まれ、元気に楽しく行なわれ、遠足の"リンゴ狩り"も暑い位の陽光の下、ヴェルサイユ近くの嘗てはルイ14世の猟場であった広大な農家でゴールデンや真っ赤なリンゴ取って食べ、自分でとったものを一人7個づつ持ち帰って、満足な一日を過ごしました。偶々通りかかったセーヌ河に架かるカルーゼル橋(Pont du Carrousel)の上からルーヴル宮の方を眺めましたら、河岸の並木が色を変え始め、緑と黄のコントラストが何とも美しく秋の陽射しに映えていました。これから更に枯葉が進んで、冷たい大気の中に懐かしい様な香りを感じる頃には、ジュラ、ピレネーやアルプスの山岳地帯に降雪の報、冬の声が聞こえ始めます。市場には蜜柑(la clémentine)が出始め、大き目の物を7個程計ってもらいましたら約1キロ、キロ当たり2,95ユーロで、3,15ユーロ、ついでに大粒の白ブドウ"イタリア"(le raisin « Italia »)を1房を求めましたらキロ2,50ユーロで1,36ユーロでした。これから出回る色々な果物に秋の恵を感じたいと楽しみにしています。

*「栄華と悲惨・フランスに於ける売春の姿(1850-1910)」展 ( Expo. « SPLENDEURS et MISERES – IMAGES DE LA PROSTITUTION(1850-1910) » )  思い切ったテーマであり、"売春"をテーマに開かれた展覧会は未だ嘗てなく、賛否両論、色々と意見もあったようですが、19世紀半ばから20世紀初頭のパリ、モンマルトルを中心として派手で賑やかな街を彩った女性達、ガス燈(les becs de gaz)が灯る下町の夜、夜遊び人達、香水、煙草、酒の香り、踊り子、街の女の肉体の輝き、、、が一つの時代を為していた事実、カフェで、キャバレーで、売春宿で,遊び、過ごしてその"栄華と悲惨"を感じ、その姿を描いて後世に伝えた芸術家達、バレリーナを描いたドガから「女性は最も美しい景色」(La femme est le plus beau paysage)と表現したヴァン・ドンゲン迄、、、、パリを物語るには欠かせない文化との解釈から、あえて「売春」のテーマでの展示に踏み切った、と説明されています。ドガの「スター」('Ballet-L'Etoile'(1878)-Edgar Degas) 、アンリ・ジェルヴェスの「ローラ」('Rolla'(1878)-Henri Gervex)、ロートレックの「2人の女友達」('Les Deux Amies'(1892)-Toulouse-Lautrec)、ピカソの「アブサントを飲む女」('La Buveuse d'absinthe'(1901)-Pablo Picasso)、アンドレ・ドランの「下着姿の女」('La Femme en chemise(1906)'-André Derain)、ヴァン・ドンゲンの「紫色の靴下どめ」('La Jarretière violette' (1910)-Kees Van Dongen)、、、、ロートレックは「娼婦達の間に居る時ほど人間らしい安らぎを覚えることはない、、、」と云ったとか、、、、下心あって酒をおごる男、酩酊した中年男と連れの女、客引きで捕まり憂鬱な表情の女、、、快楽の夜が始まろうとしている雰囲気、、、猥雑なざわめき、、が伝わってくる作品100点余りを展示しています。こうして例えば有名なドガの「アブサント」('L'Absinthe'(1876))を前に、普段は大家の傑作として鑑賞するに止まるものが、今回の展覧会のテーマの見地から改めて眺めると、同じ作品でも違った雰囲気に見えるという興味深さから、初日より入場制限を行なう程の人気を呼んでいます。会場には"18才未満お断り"の厚く仕切られたコーナーもあり、当時の街角で売られていた春画や怪しげな写真の展示、短編のポルノ映画の放映も行なわれています。オルセー美術館にて来年の117日迄開催中、月曜日を除く毎日09301800、入場料11ユーロです。(Musée d'Orsay (1,rue de la Légion-d'Honneur,Paris 7e)

*ジル・マルシャルのマドレーヌ ( LA MADELEINE DE GILLES MARCHAL )

"マドレーヌ"というお菓子、お好きですか?−これには諸説ありますが、愛娘のマリー(Marie Leszczynska)をフランスのルイ15世に嫁がせたポーランド王スタニスラス(Roi Stanislas de Pologne(1677-1766))は自分もフランスが好きでロレーヌ地方コメルシィ(Commercy)に城(現在の市庁舎)を建てて移住しました。或る日料理人が居なくなり困った王様は女中に何か菓子を作ってくれるように頼みました。(Stanislas demanda à sa servante de lui préparer un gâteau)彼女は一瞬困りましたが、お祖母ちゃんに教わった通りに小麦粉、卵、バター、砂糖、イーストを混ぜ合わせ(Mélange de farine,d'oeuf,de beurre,de sucre et de levain)それにレモンを香りに加え、型(le moule)が見付からなかったので、帆立貝の殻(la coquille Saint-Jacques)に流し入れて焼き上げました。王様は美味しいと大変に喜び、この菓子に彼女の名前をとって"マドレーヌ"と名付けました。それがいつしかコメルシィの名物となりました。この王様は世界遺産に登録されたナンシィの中央に位置するスタニスラス広場(Place Stanislas)に名を残し、その広場の中央に銅像が立っていて、台座には確か « Bienfaiteur »(善人、恩人、、、)と彫られていた様に思います。因みにナンシィは今人気のマカロン(le macaron)が生まれた所でもあります。前置きが長くなりましたが、このスタニスラスの居城でもあったリュネヴィル(Lunéville)に生まれたジル・マルシャルはメス(Metz)の菓子職人クロード・ブルギニョンに弟子入り、21才でパリの一流ホテル・クリヨンのシェフを補佐、その後もプラザ・アテネ、ル・ブリストルといった"パレス"級ホテルのパティシエのシェフを務めて後、故郷の名物"マドレーヌ"を一層美味しく広めようと、此の度独立してモンマルトルに店を開きました。11,60ユーロのナチュラルから、レモン・ピール入り、黒チョコ入り、蜂蜜入り、塩キャラメル入り、ピスタチオ入り、等々バラエティーに富んでいます。(la nature 1,60 euros,mais la madeleine aux zestes de citron, au chocolat noir, au miel, au caramel beurre salé,à la pâte de pistache ,,,,,) 店の名はPâtisserie de Gilles Marchal, 場所は9, Rue Ravignan, Paris 18eです。

*冬時間 ( L' HEURE D' HIVER )1025()午前2時から"冬時間"になりますから、前夜お寝み前に時計の針を1時間遅らせて下さい。23時は22時です。日本との時差は8時間となり、パリの午前7時は日本では同日15時、午後の3時です。

*2015107日 Saint Serge  日の出0758・日の入1918 天気:パリ朝夕12/日中17℃曇天、ニース:15/22℃晴天、ストラスブール:13/17℃曇天、お元気な秋を(菅)

 
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