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パリの香りをどうぞ
 菅佳夫のフランス通信
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皆様、 今朝は濃い霧が出て景色がボーっとしてます。
お元気にお過ごしですか。
フランス通信157号をお送りしますので
どうぞよろしくお願い致します。
寒さに向かい ご自愛下さい。

菅 佳夫

添付写真: エトレタ海岸に立ち
左手に 下(しも)の崖 Falaise d’ aval
右手に 上(かみ)の崖 Falaise d’amont

フランス通信(157)  神帰月                   Paris,le 05 NOV.2018

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*冬の到来 ( L’ ARRIVEE DE L’ HIVER ) : 10月は全国の神々が出雲大社に集い、出雲以外に神様が居なくなることから「神無月(かんなづき)」でしたが、11月は神様がそれぞれに帰って来られたので「神帰月(かみきづき)」、そして「神楽月(かぐらづき)」とも云う と いつもの物識りの友人が教えてくれましたので、何か落ち着きました。10月最後の日曜日28日は、午前3時を2時に遅らせ「冬時間(l’ heure d’ hiver)」となりましたが、「冬時間」になるや否やピレネーやアルプスの山岳地帯、マシフ・サントラル(中央山塊)やヴォージュ地方に初雪(les premières neiges) ,それも20センチも積もって、早くも交通機関を麻痺させました。最近日本でも話題となって何かと取り沙汰された「サマータイム(l’ heure d’ été)」ですが、こちらは日本と比べればずっと北に位置しており、“エネルギー節減”が目的で、所謂「オイルショック」の頃に定められたもの、、、因みに記録を見れば、622日の「夏至」では日の出が0547分、日没が2157分で、太陽が出てから沈む迄16時間程もあって日が長く、1222日の「冬至」では日の出0841分・日の入り1656分で8時間強と日が短く、「サマータイム」を設けるにも、それなりの意味がありました。今年は暑さも厳しい夏が長く、秋に入っても”インデアン・サマー(l’ été indien)“が続きましたので、枯葉の進みが遅く、周囲の景色を眺めれば、次第に葉が黄色く色付いてはきましたが、マロニエの木を除き、まだまだこんもりとした感じがあります。

秋は何処へ行ったのでしょうか、しかし気温は急に下がり、やや遅れ気味の枯葉が冷たい北風に舞う様に散っています。「夏から冬に3日でなった(de l’ été à l’ hiver en seulement trois jours)」とは最近の新聞の見出しです。

 

*エトレタとオンフルール ( ETRETAT & HONFLEUR ) : 友人夫婦に乞われて、久し振りにノルマンディ海岸のエトレタとオンフルールを訪れました。パリから車で約230㎞、ルーアンで高速道路を下りて一寸だけ街に入り、モネが描いて有名なルーアンの大聖堂を見てから、県道に入り、牛や馬が広々と遊び、リンゴの木が目立ち、藁ぶき屋根の家等が残る村、ノルマンディらしい長閑な景色を楽しみながらエトレタの海岸に着きました。全長が約1,5kmに及ぶ玉砂利の海岸、その両側に絶壁が切り立つ景観は、いつ見ても好いものです。コローやモネも好んで描き、アルセーヌ・ルパンを生んだモーリス・ルブランはこの地に住んで「奇岩城」などを著しました。海岸沿いのレストランで新鮮な牡蠣などシーフードを楽しんでから、再び右に左に田舎道を走り、セーヌ河の河口を大きく跨ぐノルマンディ橋(le Pont de Normandie)を渡ると愛らしく小さな港町オンフルールに着きます。此処もコロー、モネ、ターナー等の画家達が好んだ所。港のすぐ近くには15世紀末、百年戦争で破壊された石造りの教会跡に、近くの森から切り出した木材で、船大工達によって建てられたフランス最古の木造の聖堂“サント・カトリーヌ教会”があり、中に入って丁度船底を逆さにした形の天井を見ると、それが頷けます。港に面した小さなカフェでお茶をしてから、名物の塩バター・キャラメル(les caramels au beurre salé)をお土産に、高速道路(A13)に出て一路パリへ戻ってきました。

 

*「ジャン・ミシェル・バスキア & エゴン・シーレ」展 (Expo « Jean-Michel Basquiat & Egon Schiele ») : 1900年初頭のウイーンに生きたエゴン・シーレ(1890-1918)、そして1980年代にニューヨークに生きたジャン・ミシェル・バスキア(1960-1988)、この2人の間に70年という時代の隔たりはあっても、2人がいずれも28歳の若さでこの世を去っているばかりか、感受性の強い、情熱的な、熱烈な閃光を放つ作品の数々には、何か共通したものがあるのではないか、と エゴン・シーレの「孔雀模様のジレを着て立つ自画像」(Autoportrait debout avec un gilet au motif paon(1911))J.M.バスキアの「アンソニー・クラーク像」(Anthony Clarke(1985))等々、それぞれに120点もの作品を展示して問いかける大変に興味深い展覧会です。

2019114日迄、ルイ・ヴィトン財団(Fondation Louis Vuitton, 8,avenue de Mahatma Gandhi, Boulogne,Paris 16,メトロLes Sablons)火曜日を除く毎日12時-19時、入場料16

<参考>1960年ニューヨークに生まれ、1988年麻薬に溺れて28歳で逝った謎の画家ジャン・ミシェル・バスキアは、ニューヨークの下町でヒップホップやジャズに傾倒し、チャーリー・パーカーに憧れ、壁をグラフィティで埋め、日夜快楽のみを追求し、乱れた生活の中で街のエネルギーを吸収しながら、一方では抽象表現主義の画家デ・クーニングやジャスパー・ジョーンズを尊敬し、アンディ・ウォーホルの影響を大いに受け、画布が買えなければ壁と云わず扉と云わず、天井、冷蔵庫、何処でも休むことなく画を描き、謎めいた文や暗号を書き、書いては消し、線を引き、と云った毎日の繰り返しだったと云われます。1977年頃は仲間のアル・ディアスと行動を共にしながら、描いたものには必ず特徴ある言葉で凝った一文を記し、その下に« Samo »(same old shit : toujours la même merde(いつも変わらぬメルド))とサインを入れてましたが、2年も経った頃 « Samo is dead(サモは死んだ) »と記してグラフィティを止め、絵画に移り、間もなく画商が目を付けるところとなりました。最初は200ドル程度でしたが、1981年の作品の自画像は2007年のサザビーズのオークションで1450ドルもの高値が付きました。、、、、、(2010年10月24日付小信44号に掲載 : J.M。バスキア生誕50年の機会にパリ近代美術館にで開催された“表現主義と原始主義の中間に存在する反逆児”の回顧展「“光を放つガキ”バスキア」展のご案内から転載)

 

*「アルフォンス・ミュシャ」展 ( Expo. « Alphonse MUCHA » ) : 1860年頃から1910年頃にかけて世間を風靡した「アール・ヌーヴォー(Art nouveau)」の巨匠に数えられるアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)。パリの旧い店の装飾やポスターなどに見られる古き良き時代を思わせる美女と背景の丸みを帯びた独特の草木や花の図柄、、、、チェコ出身の彼が、ゴーギャンとの友情に支えられ、大女優サラ・ベルナール(1844-1923)達の協力のもとに、画家としてばかりでなく、宝石ザイナー、装飾家、写真家としても活躍して制作した200点余りの作品を展示しています。2019年1月27日迄 毎日10時30-19時00、リュクサンブール美術館(Musée du Luxembourg : 19,rue de Vaugirard,Paris 6e,メトロSaint Sulpice下車)にて、入場料13€です。

 

*バゲットが間もなく世界遺産に?(LA BAGUETTE BIENTOT CLASSEE AU PATRIMOINE MONDIAL ?) :

フランスの象徴的な存在のバゲット・パンを“世界遺産”として認めてもらおうと“フランス全国パン・菓子連合会(CNBPF :la confédération nationale de la boulangerie–pâtisserie française)がパリ市庁や文化省など各方面に協力を呼び掛けました。全国で1日に3千万本、パリだけでも1500軒のパン屋が日に1千万本を焼いて売り上げるそうです。

 

2018年11月5日Sainte Sylvie : 日の出07時43 分・日の入17時24分 パリ2℃/11℃薄曇、

ニース12℃/21℃雨天、ストラスブール3℃/12℃曇天 「聖堂の固き木椅子の冷やかさ」(楓)

フランス通信(156)  神無月                   Paris,le 14 OCT.2018

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*10月に ( AU MOIS D’ OCTOBRE ) : 世界のあちらこちらで天災が絶えませんが、皆様の所はご無事でしょうか、お見舞いを申し上げます。すっかり乾燥していた当地でしたが、久し振りの小雨に、大気も緩み、木々の枯葉が次第に進んできました。10月は別名「神無月」と呼ばれますが、物識りの友人によれば、出雲の大社に全国の神々が集い、1年の事を話し合う為、出雲以外に神様が居なくなる月、の意味だそうで、他にも神去月(かみさりづき)、雷無月(かみなかりづき)、時雨月(しぐれづき)、初霜月(はつしもづき)等々色々あるようですが、私は「カンナヅキ」という言葉の響きが好きです。

 

*リンゴ狩り ( LA CUEILLETTE DES POMMES ) : “紅いリンゴに唇寄せて、黙って見ている青い空、リンゴは何にも云わないけれど リンゴの気持ちはよく分る、リンゴ可愛や、可愛やリンゴ、、、”古い歌が口をついて出てしまいましたが、お手伝いしている幼稚園の園児48名、先生4名にお母さん達6名の一行のお伴で、パリ北東の郊外にある農園にバスを仕立てて“リンゴ狩り”に行ってきました。幸いに珍しい程の好天に恵まれ、陽光は暑い位、枯れ始めた葉が渇いた音を立てる菩提樹の間を抜ける風は心地よく、たわわに実るリンゴをもいで、無農薬なのでその場で安心して食べ「ボク皮ごと食べるのはじめてだよー、、、」「私のお母さんはネ、リンゴを生で食べるとお口が痒くなるのよー、、、」1人が5個づつお土産に、ついでにレタスや人参、トマトやキュウリ、ハロウインの為に大きなカボチャも忘れずに、、、、鵞鳥やアヒル、馬や山羊とも遊び、草地でお弁当を広げ、草の上を転げ回って遊んでから、帰りのバスの中では殆どの子供がスヤスヤ、、、楽しい秋の一日でした。

 

*“シャルル・アズナブール 永遠なれ”( Charles AZNAVOUR POUR TOUJOURS ) : 歌手であり映画俳優でも知られるアズナブールが101日未明に南仏の自宅で94才で亡くなりました。9月の日本公演を終えて帰国したばかり、亡くなる3日前のTVインタビューには、日本土産の « Japan »と縫い取りのあるジャンパーを着て元気な笑顔を見せ、本人も周囲も皆が100才を舞台で祝うものと思っていただけでなく(On pensait bien voir Charles Aznavour fêter son centenaire sur scène.)、手帳には2024100才の誕生日にコンサートの予定が記されていたと聞き、驚きました。19245月、アルメニア系移民の両親ミシャとクナールの間にパリで生まれ、幼少の頃より舞台に憧れ、194622才の時に歌手のエディット・ピアフの目に止まり、始めは運転手や使い走りをしていましたが、彼女のピアノ伴奏を務めてから舞台に上がり、前座を務め、歌手となりました。1960年にはフランソワ・トリュフォー監督の映画「ピアニストを撃て(Tirez sur le pianiste)」に出演して好評を博し、1963年にはニューヨークのカーネギーホールでコンサートを開いて満席になるなど、急激に人気が上がりました。自分で歌う曲は« la Bohème », « les comédiens », « la Mamma », « For me,Formidable », « Mourir d’aimer » ,,,,,,,全て自分の作詞・作曲、他にジョニー・アリデーのデビュー曲とも云える « Retiens la nuit »等々他の人の曲も多く作り、その数1400曲と云われます。映画出演80本、彼のレコードはどれも“愛と悲しみに溢れた詩”であり、18千万枚が世界中に売られ、ゴールデン・ディスクは何枚になったでしょうか。2015年には51番目のアルバムを出しました。アズナブールはフランス人ですが、祖先の国アルメニアを忘れたことが無く、「フランスは我が国、アルメニアは我が心(La France est mon pays , l’Arménie, ma religion)」と云い、1975年“アルメニア大虐殺事件(le génocide arménien)”の際も、1989年の”大地震(le violent tremblement de terre)“の時も莫大な救援の手を差し伸べました。この105日、大統領府の決定によりアンヴァリド(廃兵院・ナポレオン廟)にて国民葬(Hommage national aux Invalides)が執り行われ、マクロン大統領 、アルメニア国首相らの弔辞が続き、最後に三色旗に包まれた棺は儀仗兵に担がれ、軍の合唱隊がピアノ伴奏で歌う「世界の果てに(Emmenez-moi au bout de la terre, emmenez-moi au pays des merveilles)」の曲に送られて静かに会場を去って行きました。

*二つの“ピカソ展”( LES 2 EXPOS PICASSO ) : まるで宣戦布告をしているかのように、パリで同時期に2つの大きなピカソ展が開かれています。オルセー美術館では、190010月、ピカソが19才の時、友人のカルロス・カサへマス(Carlos Casagemas)と憧れのパリに初めてやってきて、モンマルトルに滞在してから数年間に描いた初期の作品を世界中から集めた“青とローズ”展を、一方ピカソ美術館では“傑作”展と題して、所蔵する数々の作品を展示しています。

 

(1)“ピカソ・青とローズ”展 ( PICASSO, BLEU et ROSE ) 20世紀を迎えて、パリの華やかな夜の世界、女、酒、麻薬、、、その裏には悲喜こもごもの惨めな生活があることに気が付いたピカソは、酒場、キャバレー、と云った場所ばかりでなく、病気のままや乳飲み子を抱いて服役するサン・ラザールの婦人刑務所、もの悲しいサーカスと云った場所を憐れむ気持ちで足繁く訪れました。1901年友人のカルロスがジェルメ―ヌと云う女性に魅かれましたが片想いのまま鬱病となり、或る日レストランの皆の前でピストル自殺を遂げました。ピカソは頭に弾の跡が残るカルロスの死の床を描きました。(Casagemas sur son lit de mort(1901)) カルロスの自殺を機にすっかりセンチメンタルな気持ちになったピカソは、それからしばらくの間“青”を基調とした絵を描きました。「青の時代」(la période bleue)です。ピカソが好んで描いた女性像“シュミーズ姿の女”(Femme à la chemise(1905))、“バーでうつむく2人の女”(Pierreuses au bar(1902))、サーカスの“玉乗り”(Acrobate à la boule(1905))等々、、、そして1904年、モンマルトルの「洗濯船」(le Bâreau-Lavoir)に始めてアトリエを構え、フェルナンド・オリヴィエと知り合い、恋仲となって以来、その色調はローズに変わったのです。「ローズの時代」です。サーカスの“坐る道化役者”(Arlequin assis (1905))、“自画像”(Autoportrait(1906))、“2人の兄弟”(Les deux frères(1906)) 等々、80点の絵画にデッサン等合わせて300点を展示しています。

201916日迄、オルセー美術館(Musée d’ Orsay) 月曜を除く毎日09h3018h00、入場料14

 

2)“ピカソ・傑作”展 ( PICASSO, CHEFS-D’OEUVRE ) : “傑作”と云えば、キュービスムの開花を示す作品で バルセロナのアヴィニョン街にある売春宿に由来する「アヴィニョンの娘達」(Les demoiselles d-Avignon(1907))、そして、スペイン内戦時にファシストの残虐を告発してドイツ軍の爆撃により壊滅し、多くの村民が殺されたゲルニカ村を描いた大作「ゲルニカ」(Guernica(1937))を挙げますがどちらもありません。(Les chefs-d’oeuvre ne sont pas toujours ceux que l’on croit. «Les demoiselles d’Avignon »et « Guernica » sont absents.) しかし、ピカソ美術館が所蔵する全ての作品がピカソの傑作であることを誇示するかのような展覧会で、淡い青や薄いローズ色も使われて極めて写実的な作品「アルルカン(化役者)」(Arlequin(1923))や、沢山の小品も展示しています。

2019113日迄、ピカソ美術館(Musée Picasso) 月曜を除く毎日10h3018h00 入場料12,50

 

*20181014Saint Juste 日の出0809・日の入1903、パリ:朝夕16/日中25℃晴・夏日

ニース15/24℃曇天、ストラスブール10/25℃晴・夏日  「秋の雲 盛り上がったり千切れたり」(寛)

フランス通信(155)  新学年                   Paris,le 16 SEPT.2018

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*休暇明けに ( A LA RENTREE ) : 9月に入るや、学校は新学年が始まり、夏休みで閉まっていた店や事務所も全てが開いて、電車やバスのダイヤも元通り、街も賑わい出しました。太陽は既に傾いて、まだ強い陽光が部屋の中に射しこむようになり、夏の暑さを思い出させます。木々は青々と繁ってはいますが、マロニエだけが夏の終わりを告げるかのように、早くも茶色に枯れて、マロンがコロコロと落ち始めました。今夏は日中の気温が25℃を超えた日が76日間も続きましたが、825日を過ぎる頃から、さすがに秋めいてきました。こうして長い休暇が明けて賑やかさが戻った9月の新学年に、世間の話題となったことをお伝えしてみましょう。

 

小学校:いつも通り、入学式も無く始まりましたが、パリ郊外のある地区では、2年生に上がれず、落第生だけで1組が出来てしまいました。一般的に、小中学生の学力が、ここ30年で2学年分の遅れが見られるとの、不安な話題です。文化の異なる世界各地から人が集まって住むフランスですから、学齢期に達したからといっても様々、同い年であっても“出来る生徒”と“出来ない生徒”の差も大きく、先生方も大いに悩むところです。毎年新学期に出される“シラミ注意報”は今年も発せられましたが、洗髪の方法や薬品が紹介された程度で、大きな騒ぎにはなりませんでした。

給食:全国20%の学童が宗教的戒律に従い、菜食主義であったり、豚肉を食べなかったり、十分な脂肪やタンパク質を摂れず、ハムやソーセージも出せないので、大豆製の挽肉(?)で代用するなど学校も苦労をしてますが、中には宗教的に厳しい親から云われているのか給食時間に食堂に来ず、何も食べないで過ごす子供もいることが問題となっています。しかし一方では恵まれない人達の住む地区(le quartier défavorisé)で、まず朝食を食べさせ、それから授業を始めている所があります。こんな貧しい家庭のお腹を空かした子供達が全国で27%にもなるそうです。

 

中学校:英語を第一外国語として学び、第二外国語としてはスペイン語、ドイツ語などが選択出来ますが、実際に大切な外国語として近々アラブ語が加えられることになったようです。

夏休みが長すぎないか:聞くところによりますと、第一次世界大戦の頃、男たちが皆兵隊にとられ、男手が無くなった為、子供達の学校を休みにして麦の刈り入れなど農作業を手伝わせたのが、夏休みの始まりだそうです。大人はといえば、1936年の夏に、長らくの闘争を経て15日間の有給休暇を獲得、それが1999年には週535時間労働で年間5週間の有給休暇が取れる様になりました。学校の休み(les congés scolaires)は、フランスでは年間16週間、夏休みはその中の8週間、今夏は77日から92日でした。この機会に里帰りする家族も多いのですが、不景気な最近では親達もそう簡単に休暇も取れず、例え5週間の休暇が全部取れたとしても8週間は一緒に過ごすことは無理、里のお爺ちゃんお婆ちゃんが健在としても、せいぜい1週間から10日で「孫は来てよし、帰ってよし」となり、子供達はすることも無く退屈してしまう、というものです。家で面倒を見れないからと放っておく訳にもいかず、といって音楽教室やスポーツ・クラブ等に入れるとしてもお金が掛かるし、第一に夏休みは閉まっている所が多く、悩みは尽きません。世の中が忙しくなるにつれ、早々の見直しが求められています。因みにお隣の国ではベルギーが年間15週間の休暇で、夏休みはその中9週間、ドイツとイギリスは年間13週間で、夏休みは6週間だそうです。

 

交通機関・夏のダイヤ不景気の煽りを喰らって仕事も忙しくなり、夏休みと云っても働く人も多くなりました。日曜・祭日営業の店も増えてきました。しかし、電車やバスは従来通りに夏のダイヤで運行、例えば、普段5分間隔のメトロが8分、10分間隔に、郊外線RER10分間隔から20分間隔に、普段の半分の運行です。更には、空いているはずの夏休みの機会に軌道工事,架線工事、駅舎改造工事、等々、例えばRER A 線は728日から826日迄パリ区間(エトワールからパリ・リヨン駅間)を閉鎖・運休して軌道工事、RER C線も同様にパリ市内区間は運休、、、、他の路線を乗り継いで遠回り、、、、時間も掛かり、朝晩の通勤・退勤時は普段よりも混み合いましたので、乗客の不満が膨れ、夏のダイヤ廃止が求められています。これに対して国鉄(SNCF)やパリ市交通営団(RATP)は検討を約束していますが、、どうなりますか。

 

カー・ナヴィゲーション:スマフォによるジェー・ペ―・エス(Global Positioninng System)の発達により、高速道路や幹線道路の渋滞・混雑を避け、迂回する為に、今迄知られていなかった道路が表示・案内される様になった為、車もめったに通らず、のんびりと静かな町村が俄かに騒々しくなり、住民の安全と公害が大きな問題として取り上げられています。

**話題は尽きませんが、長くなりましたので、続きは又の機会に譲ります。

 

*「不思議な一角獣」展 (Expo. MAGIQUES LICORNES) : パリのサン・ミシェル通りとサン・ジェルマン通りが交差する角にある3世紀初頭の浴場跡の大きな遺跡の一部と、それに続くクリュニー修道院の建物を19世紀半ばに美術館として整備したクリュニー美術館は、一角獣を織り込んだゴブラン織りのタペストリーで知られていますが、この度大掛かりな改装が終ったのを機会に、15世紀頃から人々の間で大いに話題となり、想像を掻き立てた不思議な動物、頭に捻じれた1本の角があり、ライオンの尻尾をもち、馬にそっくりな伝説的な動物“一角獣”(ユニコーン)を特集し、一角獣をモチーフとしたタペストリーは勿論、絵画や彫刻、写真などを展示しています。2019225日迄、クリュニー美術館(Musée de Cluny, 28,rue du Sommerard,aris 5eメトロCluny 火曜を除く毎日09151745、入場料9€ です。

 


*農業開発展示会 (Salon « INNOV – AGRI ») : 知人の依頼でお手伝いの為パリからA10号高速道路を南に約100㎞、穀倉地帯のボース平野に続くロワレ(Loiret)地方の小村ウタルヴィル(Outarville)で開かれた展示会に行って来ました。“農業と土の関りを感じさせる為”に広大な畑の真ん中に設けられた会場には、自動運転機能の付いたトラクターやコンバインなど“次世代農機”、砕土、種まき、施肥、雑草や麦わらを切断、水撒き、、、、沢山の種類の農機器が並び、周囲の畑で展開されるデモンストレーションは解り易く、遠くから農作業中の機器を見たことはあっても、こんな近くで見ると、その規模に驚き、圧倒され、大いに勉強になりました。そこから約40㎞ジャンヌ・ダークの町オルレアン(Orléans)1泊しましたが、ご一緒した北海道に本社を置く農機会社の方々が、夜中2時頃に地震を知らせる電話で起こされ、ご心配なことでした。

 

*2018916Sainte Edith 日の出0728・日の入2001 パリ朝夕13/日中26℃晴天、ストラスブール9/25℃晴天、ニース21/28℃晴天、コタンタン10/21℃曇天

朝市で南仏ヴァントゥの黒ブドウ1318g1,57€でした。「寒さすら感じる夜に栗ご飯」(寛)

 

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フランス通信(154)  大暑        Paris,le12 AOUT 2018

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*厳しい暑さ・大酷暑 (LES FORTES CHALEURS – LA GROSSE CANICULE) :暑い暑いという日本からの便りに、7月末でしたか熊谷市で“大暑”、午後に41,1度を記録、「国内観測史上最高気温を更新」とありました。新聞によれば、30度以上を「真夏日」、35度以上を「猛暑日」、しかし40度以上に名前は無く、「極暑日」か「炎熱日」か、或いは「灼熱日」???と、挙句は「災害級の暑さ」「命の危険がある暑さ」との表現には恐ろしさすら感じました。こちらは日中の気温が30度を超えても乾燥している所為か日蔭は涼しくて助かる、有り難い、と思ったものです。日本の新聞が続けます。「気温が高いと蚊が飛べなくなるらしい。活動出来るのは10℃から35℃、とする研究がある、、、35度超えが当たり前のようになった今年の夏、蚊さえまいらせる暑さとはどういうことか、、、。」それに加えて台風の動き、、、皆様ご無事でしょうか、お見舞い申し上げます。ところが8月に入るや、こちらも日本を追いかける様に気温が35度を超え、87日「立秋」には日本を追い越すかのようにパリでも40,4度、セーヌ川沿いのトロワでは40,5度、スペインのマドリッドで48度、ポルトガルのリスボンで47度、夜間で38度、、各国各地で水温が上がった為に原子炉は停止、鉄道は暑さで架線が緩み、レールが曲がり、乾燥した立木が倒れて線路を塞ぎ、車内で気分が悪くなる乗客も多く、臨時停車、、、モンパルナス駅近くの変電所が暑さで火事になり、TGVも郊外電車も不通、、、最も観光客の多いエッフェル塔では職員が暑さを理由に急にストに入り、暑い中を行列していた客の不満は想像を超え、、、オルリー空港ではチェックインで混雑する中、地方公演に行くブーバとカーリスという2つのラップのグループが喧嘩となって大立ち回り、、、各地の病院は患者が廊下に迄溢れに溢れて手が廻らなくなり、、、想像を絶する大騒動となりました。ところが「立秋」を過ぎるや、強風、突風(la rafale)を伴った嵐が突然にやって来て熱気を飛ばし、89日には日中の気温がパリで27度、と10度以上も下がり、寒気を感じる程の曇天となり、小雨が降りました。この暑い間は小鳥達が来なくなり、鳴かなくなりましたが、きっと何処か葉陰でジッと耐えているのでしょう。日本の様に冷房が一般的に普及していませんし、“ホカロン”ならぬ“ヒエロン”なるものも無く、扇風機は熱気をかき回すだけ、、、“平成最後の夏”はどうやら「殺人猛暑」を印象付けて過ぎ行くようです。そう云えば、街角で、電車・バスの車内で、プラットフォームで、、、大汗をかいて手拭で顔や首筋をしょっちゅう拭っているのは私だけ、周囲の人達は肌の色に関係なく、顔が赤くなっている程度で、汗をかいていない様子に気付き、どうしてなのか、と思いました。しかし、こう急に暑さを感じなくなると「あゝ もう夏も終わりか、、、」と、ちょっと淋しいような気もします。勝手なものです。

 

*ジャコメティ研究所 ( L’ INSTITUT GIACOMETTI ) : 独特な特徴ある彫刻で知られるスイス人のアルベルト・ジャコメティ(Alberto Giacometti(1901-1966))は、26才の時にパリに出て来て、パリ14区のイポリット・マンドロン通り(Rue Hippolyte-Maindron,Paris 14e)23m2の慎ましいアトリエを構えました。その昔、アレジア通り(Rue d’Alésia)から近いので訪ねてみましたが、跡形もなく取り壊されて何もありませんでした。此の度、そこから余り遠くないダンフェール・ロシュローのヴィクトール・シュルシェール通り(Rue Victor Schoelcher, Paris 14e)に、嘗ては家具等の名職人ポール・フォロ(Paul Follot)のアトリエがあったアール・デコ様式の家を改造して「ジャコメティ研究所」が出来上がり、その中に、壁や窪みも、湿った石膏や、チリ埃も、取り散らかしたまま、奥さんのアネットが大切に保管していた道具、材料、制作途中の物を含む作品などもそのままに配置、正に今も尚そこにジャコメティが居るかの様な雰囲気の、当時のままのアトリエを再現しました。ジャコメティに所縁のある展示を定期的に開催、現在は、乞食も泥棒もやり、刑務所を転々とした奇異な経験を持ち、ジャコメティとは1954年に知り合った劇作家ジャン・ジュネ(Jean Genet(1910-1986))の、ジャコメティが描いた肖像画、ジュネの自筆、手紙、写真等を展示しています。  要予約 : www.fondation-giacometti.fr/institut

 

*サド・メトゥイ展 ( Expo. LASSAADE METOUI ) : チュニジアのオアシスに生まれ育ち、幼少の頃からアラブ語の習字(la calligraphie arabe)を学び、後に西欧のピカソやマチスの絵画に魅せられたラサド・メトゥイの作品は、ホアン・ミロ(Joan Miro(1893-1983))の作品を背景に太い筆で黒々と文字を書いた様な印象を受けますが、大英博物館に認められてよりポンピドー・センターを始め世界各地で紹介されるようになりました。何処か日本の書道にも通じる様な筆使いに、「酔いしれた毛筆(le Pinceau ivre)」と題して、「フォルムの成立(Genèse des formes)」、「砂漠(le désert)」、「古典的毛筆(Calligraphies classiques)」等6つのテーマに分けて150点を展示しています。2018930日迄 月曜を除く毎日10時―18Institut du Monde Arabe (1, rue des Fossés-St-Bernard, Paris 5e, メトロJussieu下車)にて、入場料5ユーロ。

 

*「パリ国際大学都市」拡張 ( « LA CITE U » S’ AGRANDIT ) : 部屋不足の深刻な問題を抱え、1969年以来新築・増築の無かったキャンパス内に「イル・ド・フランス(*)館」(142)が完成

しました。今後は「韓国館」「中国館」「エジプト館」、そして2軒目の「チュニジア館」の建設が次々に決まり、2025年には更に1800室が増える予定です。((*イル・ド・フランス:パリ市とパリ郊外を含むセーヌ、マルヌ、オワーズの三つの川に囲まれた地域の名称)

 « la cité U »は、正式にはLa cité internationale universitaire de Paris(CIUP)、世界各国の学生や研究者を対象に廉価な宿舎を提供し、文化、学問の国際交流を推進することを目的に、1925年、当時の文相アンドレ・オノラの提唱で出来上がったもので、各国に呼びかけ、1920年代から1960年代までに約40館が完成、ル・コルビュジエの設計になるスイス館、ブラジル館や、ロックフェラーが寄贈の国際館、P.サルドゥが“旅館”をイメージして設計したという薩摩次郎八寄贈の日本館、等々各国の趣向を凝らした建物が立ち、現在では140ヶ国約1万人が居住しています。トラムが走る大通りを横切った向こう側は、ナポレオン3世時代にオスマン男爵がパリ大改造の際、嘗て建築材の石切り場であった所に1878年に造ったモンスリー公園で、広大なスロープの芝生、池や滝、緑が薫り、四季折々の花が咲く都会のオアシスです。暑い間も大学都市とモンスリー公園の大芝生は夜間も一般に解放され、涼を求める人達も多く見られました。

 

*(ご注意)パリの地下を東西に横断する電車RER A線は、軌道工事の為8月28日迄ラ・デファンス駅・ナシオン駅間は両方向共運休しています。この区間の各駅ご利用の方は十分にご注意下さい。

*2018812Sainte Clarisse 日の出0637・日の入2113 天気: パリ15/25℃曇天、ニース22/29℃晴天、ストラスブール12/26℃曇天  「炎天下一足早いヴァンダンジュ」(安芸寛)

フランス通信(153)          Paris,le 03 JUIL.2018

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*そよ風 ( LA BRISE )大気に菩提樹(le tilleul)の花のほのかな香りが漂う頃となりました。景色はむせるような緑一色、といってもよい程、夏らしい暑さに並木が作る木陰は濃く、木々の葉のざわめきを伴って吹く緑のそよ風は心地よく、ベンチに腰かけて一息つくのも好いものです。そよ風につい誘われて、アパートのベランダに出て、今年も実を付けた杏子の数を数えましたら12個、段々と色づいてきました。いずれいくつかは落ちてしまうのでしょうが、楽しみです。近くを飛び交う小鳥の姿に胡桃を砕いて置いてみたところ、この春に孵った小鳥達が親鳥に連れられてやってきて、不器用な慣れない動作で餌を突き、中には羽を震わせ、口を開けて餌をせがむ雛もいます。アトリ(le pinson), 四十雀(la mésange)などですが、嘗ては沢山にいたスズメ(le moineau)はどうしたのでしょうか、さえずりすら聞こえません。鳩(le pigeon)は相変わらずですが、貪欲で、しかも糞が汚いので、餌はやらずに追い返します。向かい側のポプラの木に巣を掛けて、時々何かをねだる様にやって来るカササギ(la pie)には、スーパーで一番安いソーセージを買ってきて、切って置いておくと、大きな嘴に銜えて前の家の屋根へ持って行って食べています。カラス(le corbeau)は自分のテリトリーでしょうか、左右の杉の木を頻繁に往復、途中にあるポプラの木のカササギの巣にチョッカイをかけるので、カササギがしょっ中ガチャガチャと煩く鳴きたてます。その昔オルリー空港の貨物上屋から逃げ出し、ソー公園の森に棲んで繁殖したグリーンの翼に赤い嘴のインコ(la perruche)は益々殖えて、時々ですがベランダのバラの木に付く虫をつついてくれます。ツバメ(l’hirondelle)がやって来ました。メルル(le merle)(クロツグミ)が高い所に止まって、陽が上る頃から陽が沈むまで、真似の出来ないメロディーを、綺麗な澄んだ声で唄っています。珍しく好天が続き、そよ風に吹かれるうちに、いつの間にか小鳥達の話になりました。いつも大雪だ、大雨だ、洪水だ、、、、と悪天候(l’intempérie)ばかりお伝えしているようですが、今回は好天をお知らせ出来て嬉しく思っています。

 

*「ウイリー・ロニスによるウイリー・ロニス」展 ( Expo.WILLY RONIS par WILLY RONIS ) :

フランスには“ヒューマニスト”と呼ばれる写真家(Photographe humaniste)4人居ます。

ドアノー(Robert Doisneau(1912-1994)),ブラサイ(Brassaï(1899-1984)),カルチエ・ブレッソン(Henri Cartier-Bresson(1908-2004)),そしてウイリー・ロニス(1910-2009)です。いずれも人間らしい、飾ることなく正直な、人間臭い姿を写真に捉えて知られています。中でもウイリー・ロニスはパリに生まれ育ち、下町の20区に住み、16才の時に父親にもらったコダックでエッフェル塔を撮って以来80年近く、こよなく愛したベルヴィルやメニルモンタンといった界隈の表情を撮り続け、現存するクリシェだけでも9万枚はあると云われます。今回はその中から590枚を選んで展示、クリシェに残された遺言とも云える初の大回顧展です。バゲット・パンを小脇に走る“パリのちびっ子”(Le Petit Parisien)(1952)、“バスチーユの恋人達”(les Amoureux de la Bastille)(1957),“ヴィラン通りの階段の下で遊ぶベルヴィルの子供達”(Gamins de Belleville, sous l’escalier de la rue Vilin)(1959)、、、、、、懐かしいような、ほのぼのとした下町の情景に、よき時代が偲ばれます。929日迄Le Pavillon Carré de Baudoin (121,rue de Ménilmontant, Paris 20eメトロGambetta下車)にて日曜・月曜を除く毎日11時―18時 入場無料です。

 

*「ロンドンの印象主義者“避難中のフランスの芸術家達”18701904」展 (Expo.« LES IMPRESSIONNISTES A LONDRES – ARTISTES FRANCAIS EN EXIL 1870 - 1904 ») :

1870年の普仏戦争(la guerre franco-allemande de 1870)とパリ・コミューン(la Commune de Paris)(労働者革命自治体)の反乱から逃れ、沢山のフランス人がロンドンに避難したことがありました。自由を求めて海を渡った芸術家達も、テムズ河やロンドン市街の風景、異国の雰囲気に刺激を受けました。その中からモネの寂しげな印象「ハイドパーク « Hyde Park »(1870)」、シスレーの「モールセイ・ダム、朝の印象 « le barrage de Molesey, effet du matin »(1874)」、ピサロ「キューガーデン・石楠花の道 « le jardin de Kew, l’allée des rhododendrons »(1892)」、ドラン「ビッグ・ベン « Big Ben »(1906)」、等々 珍しい作品100点余りを展示しています。20181014日迄、パリ市立美術館“プチ・パレ”Musée des Beaux-Arts de Paris « Petit Palais », Avenue Winston Churchill, Paris 8e, メトロChamps-Elysées Clémenceau、月曜・祭日を除く毎日10時―18時、金曜21時迄、入場料13€、17歳未満無料 です。

 

*「プロヴァンスのニコラ・ドゥ・スタール」展  ( Expo. « NICOLAS DE STAEL EN PRO-

VENCE ») : 1954年、死の1年前に南仏に移り住んだニコラ・ドゥ・スタール(1914-1955)は、プロヴァンス地方や地中海の陽の光に、純粋な色を追及し、マルセイユ近くの海岸を描いた作品「レ・マルティーグ(les Martigues)(1954)」に見られる様に、海は森の深い緑、そこに浮かぶ船は真紅や黄色、紺碧で、雲は緑色、丘陵は真っ赤に、、、、と、大胆な試みを続けました。今回は息子のギュスタヴ・ドゥ・スタールが約250点の中から選んだ南仏にての作品を2018923日迄プロヴァンスの首都エクス・アン・プロヴァンス市のアート・センター(l’Hôtel de Caumont Centre d’art,Aix-en-Provence)にて展示しています。TGV に乗って是非に往復したい展覧会です。www.caumont-centredart.com

 

*1774年もの3本のワイン売ります!」( A VENDRE, 3 BOUTEILLES DATANT DE 1774 ! ) :

ある日こんな新聞広告に目が止まりました。赤でもなく白でもなく、ロゼでもなく、アルボアのワイナリー“A.ヴェルセル”1774年製の“ヴァン・ジョーヌ”(Vin jaune du Jura)「黄色のワイン」と呼ばれるジュラシック・ワインが3本、世間に知られる限り“世界一古いワイン”との公式の証明書付き、現在までワイナリーの家族が8代に亘って地下蔵に大切に保管していたものだそうです。競売には日本やアメリカから沢山の買い手が参加して行われ、76万ユーロで落とされましたが、何処の誰の手に渡ったのか、栓を抜いて味わってみたか、、、、、判らないだけに、大きな好奇心に駆られます。

*トワリ―のサハリ動物園は50 ( THOIRY : LES 50 ANS DU ZOO SAFARI ) : 放し飼いにした象やキリン、サイ、縞馬やライオン、、、アフリカの動物達の自然な姿を車から見ることのできる動物園が、パリの郊外にあるトワリ―城の広大な敷地内に造られてから早くも半世紀が経ちました。今では家族皆で楽しめる動物園として知らない人は無い位、この50年間に2200万の人達が訪れています。Parc zoologique de Thoiry – la réserve africaine en voiture

*201873Saint Thomas :日の出0553・日の入2153パリ朝夕21/日中30℃晴ニース22/26℃晴天、ストラスブール22/31℃晴天 「紙とペン探している間に句を忘れ」(銀)

フランス通信(152)          Paris,le 14 JUIN 2018

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*6月の雷雨 ( LES ORAGES DU MOIS DE JUIN ) : 日本では6月を“水無月”と云い、その解釈には諸説ありますが、字だけで見れば“水が無い月”、しかし66日には“梅雨入り宣言”が為されたと聞きました。こちらも殆どフランス全土に(quasiment toute la France)雷が暴れ廻り、豪雨に見舞われて洪水、大きな被害が出ています。車で走っていて急な洪水に流され、溺死する人、線路の下の砂利が流されて脱線・横倒しになった電車、、、、町中の道が濁流で川となり、自分が行った親しい町や村が水に浮いたり沈んだりの風景をTVのニュースで見るにつけ、こんな短時間に、こんなに大量の水が、いったい何所から流れてくるのか、恐ろしくも不思議な気もします。アパートも個々の家も一般に地下にガレージや暖房装置、貯蔵庫、物置きを設け、冷蔵・冷凍庫、洗濯機や乾燥機、と云った機器類を置き、ワインやジャガイモなども保蔵していますから、アッと云う間の洪水と流れてきた土砂で全てが駄目になり、余りの酷さに泣く人もあれば、逆にショックで笑ってしまう人も多く、誠に気の毒な状況です。畑は野菜も水浸し、丁度ブドウの開花期に当たる(les vignes sont en pleine période de floraison)畑は、ピンポン玉程もある大きな雹(le grêle)に叩かれ、ボルドーからコニャック、シャンパーニュ等の地方は40%から全滅の危機に瀕しています。雷雨はパリにも毎日の様にやってきて、陽が出れば蒸し暑く、一部の地区は停電、出水でメトロもストップ、しかしエッフェル塔が避雷針の役目を果たして落雷の危険を喰い止めています。(La tour Eiffel fait office de paratonnerre en canalisant la foudre) 新聞の見出しにも“これ程に雷雨の多い時期は10年来のこと”(La période la plus orageuse depuis dix ans)、そしてやや誇張してますが“この世の終わりのよう”(comme un air de fin du monde)などと表現しています。天気予報によれば、この雷雨はここ暫く続くようです。

 

*“スパイダーマン”(« SPIDER-MAN ») : 526日・土曜日の午後の事、週末の買い物で賑わうパリ18区のマルクス・ドルモア通りに面したアパートの5階のベランダの外側に小さな子供が、どうした事か宙づりになり、今にも落ちそうになっているのを通行人が見つけて悲鳴を上げました。その声を聞いた一人の青年が直ぐに建物の表から素手で懸垂を続ける様に2階、3階へ、、、ベランダの鉄柵から鉄柵へ、、、まるで猿が木から木へ、枝から枝へと上がる様に、下から見上げる通行人たちの声援を背に上って行きました。その子供が引っ掛かっているベランダの隣の人が騒ぎに気が付いて出て来ましたが、仕切りがあって上手く手が伸ばせず、その頃にはこの青年が5階に上りついて子供を内側に引っ張り上げ、子供は助かりました。この状況は下でハラハラしながら声援を送っていた1人がスマホで撮影、その映像が世界中に流れ、正に“スパイダーマン”と評判になりましたので、ご覧になった方もお有りでしょう。4歳になるその子の住居は6階、父親は買い物に出掛けて留守、6階のベランダから何故か落ちて5階の鉄柵に引っ掛かり、宙づりになっていたと分りました。何も知らずに帰って来た父親は 勿論「親としての責任」を問われ、警察の取り調べを受けました。子供は足に傷を負っただけでしたが、検査の為に病院に運ばれました。この青年の名はマムドゥ・ガッサマ、22才、パリ郊外モントルイユの15㎡の部屋をお兄さんを含む6人で住む難民の1人で,アフリカのマリの寒村から徒歩でブルキナ・ファッソを経由してリビアへ出て、何時難破するか判らないゴムボートに60余名と同乗、命からがら地中海を横断してイタリアに着き、暫く難民キャンプで過ごしてから、先にフランスへ入った兄さんを頼りにやってきた、身分を証明するものは何も無い、いわば難民の不法滞在者だったのです。しかしこれを知ったマクロン大統領は早速エリゼ宮に彼を招き、その勇敢な行為を称え、即刻3ヶ月有効の滞在許可証の発行と、その後に本人が希望すればフランス国籍を与えることを約束しました。それだけではありません。パリ市消防隊(la brigade des sapeurs pompiers de Paris(BSPP))からは就職の誘いが掛かり、パリ市のアンヌ・イダルゴ市長からも「自分もスペインから帰化した身であり、国籍を得たら頑張って欲しい」との言葉と共に“パリ市民栄誉賞”が授与されました。ところで、エリゼ宮にはお兄さんも一緒に招かれましたが、お兄さんにも滞在許可証が出され、フランス国籍が約束されたのでしょうか?これについては全く報道されないので、まさか弟だけで、お兄さんは相変わらず難民のままでは、と気になるものです。こうした感動的な話題に沸く一方では、パリのサン・マルタン運河沿いにテント生活をする難民1500余名が、衛生環境上の理由からバスを連ねて施設に収容されました。更には、2015年にパリ郊外の火災現場で、燃え盛る家屋に飛び込んで19ヶ月の乳児と4歳の幼児を無事救出したチュニジア青年アイマン・ラトル―は、当時市長から感謝状とメダルを授与されただけで、不法滞在者として働き口も無く、今回国外退去令を受けていたことが 本人の訴えで分り、その不公平さが大きな話題となっています。

 

*「ドラクロワ(1798-1863)」展 ( Expo. DELACROIX(1798-1863) ) : ドラクロワと云えば「民衆を率いる自由の女神」(La Liberté guidant le peuple)(1830)を想われる方が多いと思いますが、ユジェ―ヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)が美校に学ぶ頃から、多くの感動を与え、今でもドラクロワの作品を一番多く保有するルーヴル美術館が、普通に案内書や教科書には載っていない、しかしドラクロワの素顔を表す作品180点を選び、日記や旅のスケッチと共に、有名な「民衆を率いる自由の女神」や「母親と戯れる仔虎(Jeune tigre jouant avec sa mère)(1830)を描いた「大いに制作に励んだ時代(Superproductions)1822-1832」、「壁画や天井画(*)などの装飾に励んだ時代(Ses grands décors publics)1835-1855」、そして「表現豊かな景色に勤しんだ時代(Ses paysages d’une grande expressivité)1855-1863」の三つの時代に分けて展示しています。2018723日迄、ルーヴル美術館(Musée du Louvre)、火曜日を除く毎日09001730、水曜と金曜は2145迄、入場料15€です。

 

(*)知る人ぞ知るドラクロワの壁画(1)サン・デニ・デュ・サン・サクレマン教会(l’église Saint-Denys du Saint-Sacrement, 68,rue de Turenne,Paris 3e)聖堂に入って直ぐ右側の聖ジュヌヴィエーヴ小祭壇に、聖母マリアが十字架を表すかのように両腕を大きく広げている図「ラ・ピエタ(la Pietà)(1844)」があります。当時のパリ知事ランビュトーの注文でドラクロワがルーヴルに展示されていたロッソ・フロレンティーノの「キリストの死」(1530)にインスピレーションを得て制作したものです。(2)サン・シュルピス教会(Paris 6e)聖堂に入ってすぐ右側の小聖堂の天井と左右壁面に「悪魔を打ち負かす聖ミカエル(Saint Michel terrassant le démon(le dragon)(1861))等3点の壁画があります。いずれも最近修復され、教会ですから祭式の無い時に入って、無料で鑑賞出来ます。

2018614Saint Elisée : 日の出0546・日の入2155  パリ朝夕13℃・日中23℃曇天、ニース18/25℃曇天、ストラスブール11/24℃曇天 「悪天候今から気になるヴァンダンジュ」(寛)

フランス通信(151)          Paris,le 20 MAI 2018

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*青空 ( LE CIEL BLEU ) : 5月に入って5日頃から天気が好くなり、日中の気温も上がって27℃、28℃と暑い日が続きました。急な暑さに慌てたかのようにリラ、マロニエの花、野にヒナゲシ(le coquelicot)、線路際や高速道路の土手にニゼ・アカシア(le robinier)の花、そして早くも菩提樹(le tilleul)の花までが咲いてしまいました。見上げれば憧れの青空、「五月晴れ」と呼ぶのでしょうか、セーヌの川面も空を映して青く、ゆっくりとした流れが光っています。こんな空に“鯉のぼり”揚げたいなと思いながら、「私の青空、マイ・ブルー・ヘヴン」や「ブルー・スカイ」という歌を懐かしく思い出して、つい口遊みました。“鯉のぼり”といえば、2002年でしたか、大学の後輩服部祐子さんが、世界の子供達の無事な成長と平和を願って、日本各地から集めた200尾余りの鯉のぼりを、パリのユネスコ本部の国旗のポールに泳がせたことがありました。当時は未だ“マンガ”や“ラーメン”等もあまり知られてない頃でしたし、シャンゼリゼ大通りに堂々揚げたかったのですが、何故か“危険”との理由で、市当局や警察署の許可が下りず、実現はしませんでした。しかし彼女は怯まず、苦労を重ねて、それから5年後にはモンマルトルの丘、サン・ドニ市、ディジョン市、ヴァンセンヌ市など各地の協賛を得て、フランスの5月の空に見事に鯉のぼりを泳がせました。毎年5月の空を仰ぐと懐かしく思い出すことです。

 

*「フジタ・狂騒の時代」展 (Expo. FOUJITA – Les années folles(1913-1931)) :モンパルナスを中心にパリ派の画家としてモジリアーニやスーチン、キスリングらと共に活躍した日本人画家藤田嗣治(1886-1968)没後50年を記念して1913年渡仏から1931年に至る100点余りの作品を展示、当時のパリが窺える貴重な珍しいフィルムも映しています。作品は日本画的なもの、日本の細い筆や墨を使ったもの、女性の肌の色を表す為に絵の具に天瓜粉(シッカロール)を使う等苦労したもの、好きな猫や犬、子供、共に過ごした女性、特に肌が白かったので“ユキ”と名付けたフランス女性をモデルにしたもの等々、、、最後に君江夫人と過ごしたパリ郊外のヴィリエ・ル・バクル(Villiers-le-Bacle)や、現在は君江夫人共々埋葬されているランス(Reims)のフジタのチャペルの設計と壁画制作中の写真等々 興味深いものが多く好評です。パネルの説明に“フランスに憧れたフジタはEtoile du Matinと云う学校でフランス語を習った、、、”と書かれてあり、母校“暁星学園”のことか、と調べましたら、暁星学園同窓会の関戸事務局長から「腕一本・パリの横顔」(藤田嗣治/近藤史人編(講談社文芸文庫)から「、、、中学4年生の頃九段の暁星学校の夜学に通い、、、先生方は皆仏人だった、、、、アルザスのゴワジエ先生が受け持ちで、la,le,les から始めた、、、、」と云う抜粋が送られてきて納得しました。因みにゴワジエ先生とは当時の中学部副校長を務めたHippolyte Gozer先生です。何故にFOUJITAと書くかと云えば、FUJITAと書くとフランス人が“フュジタ”と発音するので“フジタ”と呼ばせるために、1959年にランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受けた機会に、霊名のLéonard FOUJITAと書くようになったと云います。715日迄Musée Maillol (61,rue de Grenelle,75007Paris)にて、毎日10301830、入場料13€です。(*当美術館入り口左手の立派な建物はブシャルドンが市長のテュルゴの依頼で1739年から1745に造った“カトル・セゾンの泉”で、近隣の水の無駄使い、と当時非難を浴びた建物。この中庭の部屋でアルフレッド・ミュッセが多くの作品を書いたことでも知られる)

 

*103歳のピアニストが4枚目のレコード (PIANISTE SORT SON 4e DISQUE A 103 ANS) :

ピアニストのコレット・マーズは103歳、この度クロード・ドビュッシー(1862-1918)の没後100年を記念して4枚目のレコードを出しました。(Pianiste,Colette Maze sort à 103 ans révolus son 4e disque, qui célèbre le 100e anniversaire de la mort de Claude Debussy) 1914年パリの裕福な家庭に生まれ、4歳の時から今日迄約100年の間ピアノを弾き続けてきた彼女は、コルトが創った音楽院(Ecole normale de musique fondée par Alfred Cortot)を出てから演奏会など音楽活動に精力的に勤しんできましたが、今日でも毎日4時間はピアノに向かっているそうです。

 

*オズーフ大司教 ( Mgr. Pierre-Marie OSOUF ) : “オズーフ”と云う名前をお聞きになったことがありますか。1872年のキリスト教解禁後、1876年にパリ外国宣教会(Missions étrangères de Paris)から日本へ派遣された神父さんです。パリ・東京間、今では飛行機で直行約12時間ですが、当時はどうやって、どんな経路で、何日掛かったのでしょう?ローマ法王の命により、多くの悪条件の下で30年間、沢山の教会を建て、16の学校(暁星、白百合、雙葉、、、、)を開き、孤児院、病院(御殿場の神山復生病院(ライ病)、ベタニアの園(結核)等)、多くの施設を設け、資金が乏しくなるとアメリカに渡って篤志家の寄付を仰いだそうです。日本を南北に分け、南は長崎浦上天主堂を中心に、同じくパリ外国宣教会のプティジャン神父が、北を現在聖マリア大聖堂のある東京の関口町をベースにオズーフ神父が任務を遂行しました。いずれも偉大な功績に司教、大司教と昇格、オズーフ大司教が初代の東京教区長となり、1906年亡くなり、青山墓地に埋葬されました。オズーフ大司教は1829年ノルマンディ地方の小村セリジイ・ラ・サルに生まれ、今回その村で記念行事「オズーフ大司教の日」が催されることを知らされて行って来ました。パリから西の高速道路をカーン(Caen)からサン・ロー(Saint Lö)に出て、そこから20km程奥に入った所で、“上陸作戦”当時は激戦地となり、町村は戦災に苦しんだ所と聞いてましたが、見渡す限り今はリンゴ畑、乳牛が遊ぶ牧場、小さな流れ、、、、のんびりと長閑な所でした。教会堂での歴史講演会ではオズーフ大司教の日本に於ける功績が紹介され、パリ外国宣教会総長の挨拶、村道にオズーフ大司教の命名式、、、、生憎の小雨模様の天気でしたが、記念行事も予定通り行われ、片道約330㎞を日帰りで往復してきました。今回オズーフ大司教について、色々と調べて資料をお送り下さり、又現地訪問をご一緒下さった皆様に心より御礼申し上げます。お陰様で色々と学びました。東京の関口町では、当時あった孤児院の子供達の手に職をつける為、仏領インドシナへ人を派遣してパンの製法を学ばせ、教会付属のパン屋を開業したのもオズーフ神父、日本にフランス・パンが初めて登場しました。

 

*パリ・オルリー空港は100歳 (AEROPORT DE PARIS-ORLY A 100 ANS) : 1918年に商業飛行場となって今年で100年、1961年ドゴール大統領がテープカットして現在の国際空港となりました。プロペラ機の時代から次第にジェット化が進んだ1969年に、増加し始めた日本人旅客の便宜の為、私は東京から派遣されました。ドゴール空港が開港された1974年迄 色々ありました。苦しかったこと、楽しかったこと、オルリー空港は思い出の尽きない懐かしい空港です。

 

2018520Saint Bernardin 日の出0603・日の入2132 天気:パリ朝夕9/日中24℃晴天、ニース16/22℃曇天、ストラスブール8/21℃晴天「香り好し新茶に生を感じ取り」(安芸 寛)

フランス通信(150)          Paris, le 17 AVR.2018

150

*感謝 ( MES REMERCIEMENTS ) : 小信が150号を迎えました。これも皆様がお読み下さり、返信としてその都度ご感想や一言のお便り、四季折々の各国各地の模様などを送って下さることが嬉しく、大いに励みとなっておりますこと、この機会に心から感謝申し上げます。

毎回申し上げる様ですが、友人・知人宛てに普段のご無沙汰つなぎと時候の挨拶を兼ねて、フランスの生活の起伏と、その体温が少しでもお伝え出来ればと思い、2005年の秋に「KANEWS」と題して第1号を150名程の方々宛てに送信してより47号まで続き、20082月に現在の「フランス通信」と名前を変えて第1号を発信してから今回で150号を数え、現在では550名程の方々宛てにお届けするに至りました。毎号A42頁は変わらず、101号からは自分で撮った折々の写真1葉を添付して、喜んで頂いております。又、この1月には友人のお陰で2013年から昨年の2017年迄5年間の小信を纏め、日本のアマゾンから「パリの春」が出版されました。今後に「パリの夏」「パリの秋」そして「パリの冬」と続き、“パリの春夏秋冬”4冊が出版される予定です。小信が皆様との絆となります様、これからもどうぞよろしくお願い致します。

 

*やっと春 ! ( ENFIN, LE PRINTEMPS EST VENU ! ) : 春分の日も間近に雪が降り、いつ迄も大気の寒さが抜け切れず、冬の服装のままに過ごしていましたが、4月に入って自然は敏感に春を感じ取り、メルル(クロツグミ(le merle))が朝早くから唄う様に鳴き出し、向かいのポプラの木(le peuplier)にカササギ(la pie)が不器用ながらも巣を掛け、連翹(le forsythia)やマグノリアが咲き、そうこうするうちに突然の様に日中の気温が20℃、21℃、、、となって、春の雰囲気になりました。冬の間はめったに顔を出すことのなかった太陽が照って明るく、春らしい暖かさを感じて、胸が躍る心地です。桜ん坊(la cerise)が実る桜(le cerisier)の白い花が咲きました。間もなく八重桜(le cerisier à fleurs doubles( ?))の見事なソー公園(Parc de Sceaux)では、家族連れや友人達が集まって「お花見」が開かれることでしょう。(en famille ou entre amis, on se réunira pour la fête de Hanami) これから次々に咲く色々な花と緑の若葉が楽しみです。

 

*「メアリー・カサット」展 ( Expo. « MARY CASSATT » ) : “パリのアメリカ人女性印象派画家”(une impressionniste américaine à Paris)と題して、フランスに長らく滞在して制作を続けたアメリカの女性画家メアリー・カサット(1844-1926)の初の回顧展が開かれています。アメリカのペンシルバニアの裕福な家庭に育ち、何一つ不自由は無かったのですが、1860年代のパリに於ける芸術的な豊かさに憧れ、186521歳の時にフランスに渡りました。パリではジャン・レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme(1824-1904))に師事、当時のナビ派(le nabisme)やジャポニスム(le japonisme)に触れ、ボナール(Pierre Bonnard(1867-1947))の作品を好み、制作に励むうちに1874年のサロンに出展、既に踊り子や競馬を描いて知られていたドガ(Edgar Degas(1834-1917))に認められ、印象派のピサロ(Camille Pissarro(1830-1903))や女性画家のモリゾ(Berthe Morisot(1841-1895))等の知己を得て、印象派の画家の1人に数えられるようになりました。その作品は景色ではなく、家族の女性や子供をモデルに、女性らしい優雅な感覚で捉え、優しい色調で描いています。60年と云う一生の殆どをパリとオワーズで過ごしましたので、アメリカの美術館の中には、アメリカではなくフランスの画家と分類している所もあります。

今回はアメリカとヨーロッパ各地の美術館やコレクターから集めた作品「ティーカップ」(la Tasse de thé (1880/81))、「洗面」(la Toilette(1890/91))、母親と子供をテーマに扱った「青い服の赤子」(Bébé dans un costume bleu(1883/85))、「鴨に餌」(le Repas des canards(1895))等々50点余りを展示しています。723日迄、Musée Jacquemart-André(158,Boulevard Haussmann,Paris 8e, Metro : St.Philippe du Roule)にて毎日10時―18時、月曜2030迄、入場料13,50€ です。(*ジャクマール・アンドレ美術館19世紀の銀行家夫妻が住んでいた典型的な館を美術館にしたもので、室内も収集品が当時のままに飾られ、音楽の間、吹き抜けの室内庭園、天井画のあるルイ15世様式の大小サロン、等々、それだけでも訪れる価値があります。優雅なサロン・ド・テもあり、一休みするのもよいでしょう。

 

*もし“モナリザ”が旅をしたら ( ET SI « LA JOCONDE » VOYAGEAIT ) : マダム・フランソワーズ・ニッセン文化相は、フランス国民に対する文化面での公平化の見地から、永久に門外不出となっている絵画「モナリザ」を地方の美術館に貸し出す考えを明らかにしました。これに対してルーヴル美術館のジャン・リュック・マルティネス館長は、1963年にアメリカ、1974年に日本へ貸し出して以来、展示場所も固定し、何せ16世紀より500年の年月が経っており、絵画のポプラ材に亀裂も見られ、壊れ易くなっている事、2019年に予定のダヴィンチ没後500年記念特別展でも、会場の地下展示場へは移動しない、等を理由に、強く反対の意思を表明しました。それだけでなく、パリから約200㎞、北フランスのランスにあるルーヴル美術館分館へ運んで展示すると仮定して、全ての経費概算をエキスパートに算出させました。それによると、技術的には可能であるとしながら、直接費用として(1)絵画に対する保険:100万€、(2)気圧、温度、湿度、振動に対する装置付き運送と展示・保管の為の特殊ケース製造:200万―300万€(3)往復の梱包と運送:300万€(4)運送時と展示期間の監視・警護:100万-200万€。間接費用として、ルーヴル美術館を訪れる人の90%は「モナリザ」の微笑を見にきていると云っても間違いなく、「モナリザ」不在となれば、1300万€の減収、更には土産品、書籍、等のブティックやカフェの売り上げが750万€も減収となり、直接・間接を合計して3000万から3500万€の経費が掛かることになる旨の説明書を作成して文化省宛てに提出しました。「モナリザ」の絵画そのものの老朽化から、これ以上の移動は避けるべき、と多くの専門家達も警告しています。


*バゲット・パリジャンのグランプリ ( LE GRAND PRIX DE LA BAGUETTE PARISIEN ) :今年で24回目を迎えたパリ市主催のバゲット・パンのコンクールは市内‣郊外約1200軒ある手作りのパン屋から選抜、181軒が参加して行われました。規定は長さ55cm-65cm, 重さ250g-300g,こんがりと焼けて香りがよく、パリっとした手触り、勿論食べて美味しく、が条件。厳しい審査の結果、パリ14区ラスパイユ通りのパン屋“2M ”のマームッド・ムセディさんが「最優秀バゲット賞」を獲得しました。慣例に従い、これから1年間毎日、エリゼ―宮の大統領宛てにバゲット・パンを届ける名誉ある大役を果たします。


 

2018417Saint Anicet日の出0656・日の入2045 パリ朝夕9/日中22℃ 晴天

ニース13/19℃曇天、ストラスブール8/23℃曇天、    「マロニエの芽も膨らみて風光る」(安芸寛)

深い積りで浅いのが知恵、浅い積りで深いのが欲 高い積りで低いのが教養、低い積りで高いのが気位(折々の言葉)

フランス通信(149)          Paris, le 12 MAR.2018

149

*“弥生3月”( « YAYOI » AU MOIS DE MARS ) : “弥生”の由来は、草木がいよいよ生い茂る月、また“花月”ともいう、、、静岡県河津町では、河津川沿いに約4㎞に亘って850本の早咲きの「河津桜」がもう見頃を迎えている、と友人の便りにありました。それでも寒い日が続いた影響で開花は例年よりも1週間ほど遅い、とか。それなのにこちらは2月中旬の寒波襲来に、零下の気温が続き、外出には帽子、フード、頭巾か“ホッカムリ”、、、の毎日、体感温度がマイナス14℃という日もあって、未だに花の姿は何処にも見当たりません。この寒さの為に風邪も長引くようで、新聞にも注意が載っていました。(La grippe,ce n’est toujours pas fini. La vague de froid aurait joué un rôle dans la prolongation de cette épidémie.) 日本の新聞に目をやれば、関東各地で気温が上がり、20℃前後のポカポカ陽気、浜離宮で菜の花と早咲きの梅が見頃、、、、。何と羨ましいことでしょう。しかし昨日辺りから急に気温も上がり始め、少しの雨もあり、大気が柔らかく薫るようになって、何となくホッとして深呼吸、、、、野の草、木々の芽も膨らんで、自然は正直に春へ向かっているようてすから、今少しの我慢です。向かいのポプラの木に、カササギのカップルが不器用に巣作りを始めました。

 

*コロー“画家とモデル達”展 ( Expo. « COROT, LE PEINTRE ET SES MODELES » ) :

フランスの風景画家として知られるコロー(Jean-Baptiste Camille Corot(1796-1875))は、セーヌ河左岸、ルーヴル宮を見晴らせるRue de Bacに生まれました。経済的に比較的恵まれたごく平凡な家庭で育ちましたが、絵が売れる様になってからも、ダブダブの青い仕事着に、皺だらけのズボンで通し、困っている画家達に収入を分かち与えたり、身の廻りだけの世界に謙遜に生きました。何回かのイタリア滞在が色彩や明暗のコントラスト等に影響を及ぼし、微妙なニュアンスや優雅さを生み出しました。題材も自由に広く、生活の煩わしさを避ける為もあって独身を通し、ひたすら絵を描くことで満足でした。しかし晩年になって戸外へ出なくなってからの15年間は、人物画に勤しみ、コローの優れた才能が素直に現れていて、高く評価されています。始めは家族や友人、女中や子供達を描きましたが、モデルも使い、忍耐強く自由な立場で才能を育てました。ある時母親に向かって「世界にはソクラテスとキリストとコローの3人しか賢人は居ない。」と冗談を飛ばしていることもあったそうです。今回はこうした人物画から代表的な作品60点余り選んで展示しています。「モナリザ」のヴァリエーションとしての「真珠の女」(La Femme à la perle(1868-1870)) は、ダヴィンチが「モナリザ」を最後まで手離さなかったと同様に、コローも死ぬまでこの絵を客間に掛けていたと云われています。「鎌を持ち、手で頭を支える麦刈り女」(La moissonneuse tenant sa faucille, la tête appuyée sur la main(1838))は自然でいて表情の豊かさ、魅力的な視線 、「ローマのオダリスク、マリエッタ」(Marietta, dite l’Odalisque romain(1843), 作品には「Marietta – à Rome マリエッタ・ローマにて」との直筆が見られ、“裸婦”という題材が優しい線で生かされています。その他「読みさして」(la Lecture interrompue(1865-1870))等々、背景を単純で地味に、そして女性ばかりでなく、時には僧侶や鎧姿の兵士の姿(les moines et les hommes en armure)も描いています。世界に広く好まれるシャルダン(Jean-Baptiste-Siméon Chardin(1699-1779))やオランダのフェルメール(Jan Vermeer von Delft(1632-1675))とは又一味も二味も異なる雰囲気のコローの人物画は十分鑑賞に値します。今回の展覧会のポスターに使用され、メトロの駅のホームなどでご覧になった方も多いと思いますが、あの画は、バルビゾン派の画家ドーヴィニィ(Charles-François Daubigny(1817-1878))の娘のエマ(Emma)で、コローは彼女が9才の頃からモデルとして使い、これはコローがこの世を去る前の年に描いた秀作「青衣の婦人」(la Dame en bleu(1871))であり、落ち着いた優れた素質が現れている最高傑作なのです。201878日迄、“モネの美術館”として知られるマルモッタン美術館にて(Musée Marmottan Monet, 2,Rue Louis Boilly, Paris 16e, メトロLa Muette下車)、毎日10時―18時、月曜休館、入場料11€ です。

*盗まれたドガの画、見つかる(UN DEGAS volé RETROUVE DANS LA SOUTE D’UN BUS) :

パリのオルセー美術館がマルセイユのカンティニ美術館の展覧会の為に2008年に貸し出していたエドガー・ドガ(Hilaire-Germain-Edgar DEGAS(1834-1917)) « Les Choristes »(1877)“合唱団”(日本語の題名は“端役”となっているようです)は、2009年に盗まれて行方不明のままとなっていましたが、10年近くも経たこの2月、セーヌ・マルヌ県の高速道路A4 号線のサービスエリアに駐車中の貸し切りバスの荷物室に載せられていたのを税関吏が発見しました。どうしてこのバスに載せられていたか、誰も知らず、鑑定の結果で本物と断定されたものです。この画は32㎝x27㎝の小さなもので、ドガがモノタイプ(銅板に塗った絵の具を紙に転写する技法)の上に更にパステルを塗って仕上げたもので、80万ユーロ以上と査定されています。

 

*ドゴール空港美術館 ( L’ ESPACE MUSEES de l’Aéroport Charles-de-Gaulle ) :AFJALの東京や大阪への出発ターミナル2Eの搭乗口に近く、免税店などが並ぶホールMに、よくご覧になると美術館があることに気付かれると思います。2012年に開館、現在までに110人余りのアーティストの作品約370点を展示してきました。6ヶ月毎に展覧会のテーマを変えますが、現在は910日迄“1950年代の抽象芸術”(l’ Art abstrait des années1950)と題してパリのポンピドー・センターが二コラ・ド・スタール(Nicolas de Staël (1914-1955))の作品“ラ・ラヴァンドゥ”(La Lavandou(1952))等々21点の彫刻、絵画を展示しています。ご搭乗前のひとときを如何でしょうか。入場無料です。

*マクロン大統領の犬“ネモ” ( « NEMO » CHIEN DE MONSIEUR MACRON ) : ある日の午後、マクロン大統領夫妻が動物愛護協会(SPA : la Société Protectrice des Animaux)を訪れ、

愛犬選びをしました。これは大統領の新任に伴い既に習慣となった行事で、何らかの理由でSPAに保護されている犬の中から1匹を選び、大統領官邸にて飼うというものです。可愛らしい小型犬、逞しい大型犬、どれもが人懐こく大統領夫妻と暫くの時を過ごしました。その結果ファースト・レディのマクロン夫人が選んだのは黒色のラブラドール犬で、そのまま連れて帰り、他の

スタッフとも直ぐに慣れ、“ネモ”と名付けられて“ファースト・ドッグ”となりました。

 

*夏時間 ( L’ HEURE D’ ETE ) : 325日(日)の午前0200から1028日(日)迄“夏時間”となります。24日(土)お寝み前に時計を1時間進めて下さい。(例:22h0023h00) 

*2018312Sainte Justine 日の出0710・日の入1851、天気:パリ朝夕9/日中12℃雨天、

ニース8/16℃曇天、ストラスブール8/16℃曇天  「夏時間 春眠遅刻1時間」(寛)皆様お元気で

フランス通信(148)          Paris,le 12 FEV.2018

148

*悪天候・雪 ( LES INTEMPERIES – LA NEIGE ) : 正月元旦から全国的に暴れ回った嵐は、山岳地帯に大雪、各地に大雨を降らせて河川を氾濫させ、東の方へ去って行きました。2016年6月にも雨天続きで河川が氾濫、洪水で被害を被った地区は又も罹災、パリの郊外でもヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュを始め幾つかの町が1階の窓辺りまで水に浸かり、電気・ガス・水道は止まって暖房も無く、冷たい冬となりました。セーヌ河の水位を測る目印として知られるパリのアルマ橋の橋脚に立つ“ズアーヴ”像(le zouave : クリミア戦争でフランス軍が勝利を収めたロシアのアルマで大いに活躍したアルジェリアの歩兵)は、誰が着せたか赤い救命胴衣を着け、2016年と同様に膝の上まで流れに埋もれ、バトームーシュやペニッシュ等の船舶は橋の下を潜ることが出来なくなって運航停止、河岸の道路は閉鎖され、電車(RER C線)は運休となりました。洪水は更に川下のイヴリーヌ地区からセーヌ河口のノルマンディ地方まで広がり、住宅街の庭先に白鳥や鴨が悠々と泳ぐ風景もありました。しかし、河川と化した並木道で水上スキーを楽しむ姿に、テレビのキャスターは笑顔でしたが、罹災者が困っているのに、と怒りを禁じ得なかったのは私だけでしょうか。「雨水」と云う言葉は「雨水がぬるみ、草木が芽を吹き始める」の意味と知りましたが、「立春」を迎えても水位は下がらず、今度は雪、「春の雪」と云う程の情緒も無く降り続き、久しぶりの雪景色も悪くはありませんが、各地の国道で車が渋滞、そのうちに動けなくなり、車を放置して近くの体育館や道の駅、軍の施設などへ避難、除雪作業が済むまで“遭難者”(les naufragés)扱いを受けました。車の通行が少しは可能となってから、あちらこちらに乗り捨てられた車が通行の邪魔となり、さて何処へ自分の車を乗り捨てたかが分からない人も多く出て、担当の警察官や消防士達は大変な苦労を強いられました。気温は下がって日中でも零下となり、洪水の水面に氷が張るなど、嵐には襲われたものの、それ程寒さを感じなかった1月に比べて、厳しい寒さの2月になり、或る新聞の見出しには« Janvier doux, Février glacial »((気温が)1月は穏やか、2月は凍るよう)とありました。毎日の食べ物が少なくなり心細くなって、雪が降りしきる中を近くのスーパーへ行きましたが、肉、魚、卵、牛乳、サラダ菜などの生鮮食料品の棚はガランとして何も無く、店員に尋ねましたら「トラックが来ないから、、、」とのことでした。これから暫くは冷凍庫をかき回して何とか耐えることにしましょう。そう云えば郵便配達もありません。平昌(Pyeong Chang)での冬期オリンピックのTV実況でも眺めましょうか。鎌倉に住む友人が送ってくれた写真には、紅梅がほころび、春の声が聞こえて来る様で癒されました。パリ・ヴェルサイユ地区の学校は2月18日(日)から3月4日(日)迄“2月休み”(les vacances de février)に入ります。

*フランスの人口 ( LA POPULATION FRANCAISE ) : INSEE(国立統計経済研究所Institut national de la statistique et des études économiques)の人口調査(le recensement)によりますと、1月1日現在の総人口は6699万人で、過去5年間に0,5%増、そのうち6486万人がフランス本土に居住、213万人がグアドループ、マルチニック、レユニオン、ニュー・カレドニア等々の海外県(les départements d’outre-mer)に居住。結婚年齢は平均して女性が35,3歳、男性は37,8歳、平均寿命は女性が85,4歳、男性は79,3歳とのことです。

*サン・トギュスタン教会の修復( LA RESTAURATION DE L’EGLISE SAINT-AUGUSTIN ) : ラファイエットやプランタンなどのデパート街からやや西へ、オスマン通り(Bd.Haussmann)とマルゼルブ通り(Bd.Malesherbes)が交わる辺りに、大きな教会が あるのをご存知でしょう。サン・トギュスタン(聖アウグスチヌス)教会です。建築家のヴィクトール・バラールが1860年から1871年にかけて建設した大聖堂ですが、他の聖堂に比べて、これと云った史実も無く、歴史も浅い所為か、大きい割には知られていません。しかし、聖堂全体がパリにある美しい建物の一つとして1993年に「歴史建造物」に指定され(l’ensemble du site est classé au titre des monuments historiques)、パリ市が一昨年から修復工事を行い、全体の汚れを落とし、欠けた個所を補修し、セラミックの壁画を磨き直し、中央の大きなバラ窓(la grande rosace centrale)を洗い、ステンドグラスの縁を金箔で覆い直し、この度工事が完了しました。鐘楼ではなく大きなドームを後方にした大聖堂の外側を眺めてから、聖堂内に入ってみますと、パリの市中とは思えない静けさに、明るくなった聖堂はホッとするような安らぎと落ち着きを与えてくれます。

*ダヴィンチ画「救世主」アブ・ダビへ ( « Salvator Mundi » de Léonard de Vinci offert à Abou Dhabi ) : 昨年11月ニューヨークのクリスティーズの競売(la vente aux enchères)で4億5千万USドル(3億8千万ユーロ)という歴史的最高値で落とされたダヴィンチ作「救世主」 « Salvator Mundi(Sauveur du monde) »は、キリストが祝福を与えている図の45㎝x66㎝の絵で、美術館ではなく唯一個人の所有であったものですが、誰が買ったのかは相変わらず匿名のまま。(l’acquéreur est toujours resté anonyme) ウォール・ストリート・ジャーナル紙によれば、それはサウジ・アラビアの皇太子(le prince héritier d’Arabie saoudite)モハメッド・ベン・サルマーヌであり、アブ・ダビに開館したルーヴル美術館のコレクションに加えられて展示されるのではないか、との予想です。
因みに過去の競売の記録によりますと、2位はピカソの「アルジェの女達」(les Femmes d’ Alger)で1億7940万ドル、3位がモジリアニの「横たわる裸婦」(Nu couché)の1億7040万ドル、4位はフランシス・ベーコンの「ルシアン・フロイド 3つのエチュード」(Trois études de Lucian Freud)1億4240万ドル、5位がエドアール・ムンクの「叫び」(le Cri)で1億1990ドルとなっていますが、へえ、と感心はしても、全く見当もつかず、ご縁のない、別世界のお話の様です。


*「フリットの王様ルネ」( LE ROI DE LA FRITE, C’ EST RENE ) : 毎年行われるパンのバゲットのコンクールの様に、もう一つフランスの名物“フライド・ポテト”もコンクールが行われます。カリっとキツネ色によく揚がり、中はポテトの美味しい香りと味、、、、全国14000人の投票により、今年は北フランスのパ・ド・カレ地方の小さな町ヴァンダン・ル・ヴィエイでフリットとサンドイッチのスタンドを営むルネ・ルボルニュさん(Mr.René Leborgne, la Friterie René à Vendin-le-Vieil(Pas -de-Calais))が「フリットの王様」に選ばれました。ルネさんは定年退職後に商売を始めて4年目、まず140℃に熱した植物オイルでじっくり揚げてから180℃の油でサッと2度揚げするのがコツ、あとはお客さんへの愛想を絶やさない事だそうです。

2018212Saint Felix : 日の出08時04・日の入18時06 天気:パリ朝夕0℃/日中6℃曇天、ニース5℃/13℃晴天、ストラスブール0℃/6℃雪 「やる気なし熱咳くしゃみ冬の風邪」(寛)お元気で。

フランス通信(147)          Paris,le 15 JANV.2018

147

*新年 ( LE NOUVEL AN ) : 2018年・平成30年、新たな年を迎えました。今年も皆様お元気で、平穏無事な日々を過ごされます様、心より祈り上げます。こちらは何とか餅を探してきて雑煮を作り、家族で祝いました。朝日新聞国際版の1月1日号を読んでましたら、「雑」という字についての説明に目が止まりました。この「雑」という字は「雑事に追われる」「雑踏」「雑念」「雑巾」「雑音」等々、何か「雑」な気がしていましたが、「五菜相い合うなり」つまり「五色の彩りが一つになる」とか「最なり」「第一のもの」を意味し、「ごっちゃ(多様)こそ万物の礎」と知って、元旦らしい、とても目出度い気分になりました。正月の天気は、と云えば、“カルメン”と名付けられた、丁度台風(その昔日本の台風にも女性の名が付けられてジェーン台風、キティ台風等がありました)の様な嵐(la tempête)が元日から暴れ回り、南仏までも襲い、場所によって風速が140 km/hから180km/h(フランスは時速で測ります)に達する暴風(les vents violents)に停電となって、明かりも暖房も止まり、更に“エレアノール”という名のお転婆娘がやってきて嵐は続き、普段にない風の音に「愛犬が怖がって私のベッドにもぐりこんできた、、、」と南仏に住む友人から便りがありました。屋根瓦が飛ぶなど軽い方で、建設現場のやぐら(les échafaudages)が崩れ落ち、大木が根こそぎ倒れて走行中の車を潰し、洪水、崖崩れ、被害甚大となりました。その後にはアメリカ北部やカナダを襲った大寒波(la vague de froid)程ではないにしても、アルプス等山岳地帯に大雪、サヴォア地方のスキー場で知られるティ―ニュ(Tignes, Savoie)では1m50から2mの積雪で30年来の記録とか、道路は閉鎖され、鉄道は不通となって、冬のヴァカンス客達を困らせました。8日から学校が始まったパリ地区も、お日様の顔は稀で、湿った大気に灰色の毎日、それでも恒例の“冬物一掃”「ソルド」が始まって、-30%、‐50%、‐70%など、大書きした赤いビラが店頭に目立ち、何とも賑やかな年明けですが、11日には南仏コートダジュールからミモザの花便り、いつもの様に黄色い花で春が始まるようです。


*「セザール回顧展」 ( Expo. « CESAR, LA RETROSPECTIVE ) : 20世紀後半の最も革新的な彫刻家の一人(l’un des sculpteurs les plus novateurs de la seconde moitié du XXe siècle)と云われるセザールは、1921年1月1日マルセイユの貧民街でイタリア移民の家庭に生まれました。子供の頃からソーセージ作りや廃品回収等を手伝っていましたが、夢は空き缶で弟に玩具を作ってやることでした。自動車の解体屋では廃車を圧縮(la compression)して鉄の塊にしたり、車体を溶接(la soudure)したりする作業に強く惹かれ、時間を見つけては工場の隅で自分なりに鉄屑(la ferraille)を材料に物づくりに励みました。偶々それを見た巷の彫刻家に、パリに出てボーザール(美術学校・Ecole des Beaux-Arts)へ入る様に勧められ、奨学金の手続きをして入学はしましたが、何せ貧乏な身でしたから道草を喰い、卒業は33歳の時でした。しかし、独特な素材と手法で他に類を見ない作品は、既に大きな評判を得て、数々の展覧会に出展が叶いました。「(同じトスカナ人でも)ミケランジェロは、材料とする大理石の山に登っていたが、セザールは材料探しにゴミ屑の山に登る、、、」(Michel-Ange allait dans les carrières de marbre, César atteint le sommet en fouillant dans les décharges)と解体された車の鉄屑の山に上がった写真を撮らせて雑誌に載せたこともありました。また、ある時南仏カマルグの大金持ちで自動車のコレクターが、フルシチョフ時代にソ連がアメリカのキャデラックを真似て作った高級車、当時でも10万フランはするZIMをノアイユ子爵夫人に贈りました。ところが音が煩いのと、ガソリンばかり喰うので邪魔となり、夫人は、そうだ、セザールに任せて処分しよう、と考えました。セザールは、この車を圧縮機に掛け、高さ1,5m, 横幅50㎝位の角ばった柱の様なものにして夫人に返しましたが、これには後日400万フランの値段が付きましたので、「鉄を金に変える男」(l’homme qui change le fer en or.)と呼ばれたこともありました。その後、素材にポリウレタンが加わり、展覧会の会場などでその泡を使い“エクスパンション(Expansions)”と名付けたパフォーマンスを度々行い、関心を呼びました。1991年作の6mの高さがある「親指」(la pouce)はセザールを象徴する作品として広く知られており、毎年開催される映画の祭典「セザール賞」のトロフィーは、鉄屑を圧縮したセザールの作品を更に圧縮したレプリカです。今回はセザールが敬愛したロダンやジャコメティ、ピカソなどに捧げた作品など130点を展示していますが、彼が生前に強く希望していたポンピドー・センターにての展覧会が、彼の死後20年を経た今日やっと実現したことになります。  3月26日迄パリのポンピドー・センターにて開催、火曜日を除く毎日11時‐21時、入場料14€です。www.centrepompidou.fr


*ユー・アレナ・スタジアム ( STADE  «U ARENA’ » ) : 大ビジネス街ラ・デファンスの建物“アルシュ”の後方に、昨年10月19日にローリング・ストーンズのコンサートで華々しくオープンしたスポーツ競技場兼コンサート場“ユー・アレナ”は、11月25日に23対23で引き分けた日本対フランスのラグビー親善試合も行われましたが、2020年の東京に続いて開かれる2024年のパリ・オリンピック大会の体育競技会場を目的に建設されたもので,広さは11万7千m2、観客席は、スポーツ競技の場合には3万席、コンサートの場合は4万席が可能です。
(La U Arena,située derrière l’Arche de la Défense,à Nanterre(92)est une salle modulable polyvalente destinée à accueillir évènements sportifs et spectacles)

 


*パリの水族館 ( AQUARIUM DE PARIS ) : 1878年に石灰岩採石場(les carrières de calcaire)跡を利用して造られ、1937年パリ万国博覧会の機会に改装が為され、安全上の理由から1985年に閉鎖され、その後日本の専門業者の特殊技術による工事が行われて、2006年にフランスで一番規模の大きい水族館として再開され、7種類38尾の鮫を含め7500尾の魚類、2500匹のクラゲ、400個の珊瑚を保有しています。(38 requins de 7 espèces différentes,mais au total,le site compte 7500 poissons,2500 méduses et 400 colonies de coraux) 一説にはジュール・ヴェルヌは此処で「海底2万マイル」をイメージしたと云われています。(On dit que Jules Verne s’est inspiré de cet aquarium pour écrire « Vingt mille lieues sous les mers » 常時2名の潜水夫が監視する程の大きな水槽と、子供達が手で直接魚に触れることが出来る様な浅い水槽などもあり、大人も十分に楽しめます。エッフェル塔とセーヌ河をバックにシャイヨー宮に向かって右手の庭園に入り口があります。7月14日を除く毎日10時―19時、入場料 :大人20,50€、13‐17才16€、13-3才13€ 5,Avenue Albert-de-Mun ;Paris 16e, メトロTrocadéro

 

2018年1月15日Saint Rémi 日の出08時38・日の入17時21 天気:パリ5/10℃曇・雨、ニース6/12℃晴天、ストラスブール‐2/8℃曇天  寒の水言葉だけでもおぉ寒い(安芸寛)
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